いやこれアングラ演劇としては全然アリ。
作り手が観客に「考えさせる」ためには作っていないし、なんなら理解させようとさえ思っていないはず。
ラストもその行為の是非は置いておいて、とりあえずあのシーンをやりたかっただけなんじゃないか。
端的に言って気持ち悪いですよね。
「俺の子供を産め」ってレイプするのと同根。
「あえて観客を不快にさせる」というと、それは観客を起点にしてるから分析としては正しくないのかもしれないけど。
個人的には、あえて佐藤二郎を使っているところからすると、このお話全体に対して作り手が懐疑的なんじゃないか。良い意味で真剣じゃなくて、だからラストの結論も手放しで「truth」であり「美しい」ものとは捉えていないんじゃないかと期待してる。「だって佐藤二郎だよ?わかるでしょ?」って返して欲しいけど、どうかな。
ほんとに小屋でやってろって話だけど、コロナの特殊事情もあったし、今回は見逃すけど次はないよ。