じゅ

ワン・モア・ライフ!のじゅのネタバレレビュー・内容・結末

ワン・モア・ライフ!(2019年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

こういうどんでん返しの仕方もあるんだなあってかんじ

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無茶なスクーターの運転が祟ってとうとう事故って死んだ男パウロ。気付いたら天国の入り口の検問所らしき場所に。
どうやら天界では死を司る者たちがいて、彼らが人間一人ひとりの死期や死因を、日頃の行いとか運とかを基に計算機で弾き出して決めているそう。パウロがいろいろとごねる中で、まさかの計算ミスでパウロの死期が本来より早めに算出されていたことが発覚する。パウロに追加で与えられた時間は1時間32分。彼はそのわずかな時間の中で何をするのか。


1分1秒も時間を無駄にしたくない性分だったパウロ。思えばスクーターに乗るのも渋滞をすり抜けるためだったし、妻アガタとの交際中も踏切の待ち時間が原因で破局寸前の事態にまでなっていた。それなのに、そこまでして捻出した時間の中で何もしてこなかった。死の間際に頭の中に浮かぶのは取り留めのないことばかり。
今更になり、「やることが山のようにある」と焦る。でも、一体何からやれば?

とかくこの世は複雑だ。珈琲屋に行ってコーヒーくださいと言えば皆が振り返って種類だ濃さだ砂糖だミルクだ何だかんだ......。
でも、案外いちばん大切なことって単純な事なのかもしれない。子供と話しながら帰り道を帰って、気心知れた友人とサッカー観戦で一喜一憂して、身近な人と顔を合わせて話す。文字にするとありきたりだけど、そしていつでもできることだけど、ありきたりだしいつでもできるから今までやってこなかったこともある。山ほどあるやることというのは、きっとそんなことだったのだ。
時間は限られている。そんな限られた時間の大半を占める"ありきたり"や"いつでもできる"を大切にしよう。


......という話だと思っていたが、そこが本質ではないらしい。約束の1時間32分が訪れて、もう1度冒頭と同じ事故で死ななければならない時間が来たが、意を決してアクセルを吹かしすぎて衝突するはずの車とタイミングが合わず生存。
死神?らにしても彼らの仕事があるだろうから、これから『ファイナル・デスティネーション』みたいなことになっていきそうだなって思ったけど、まあそんなことはどうでもいい。

パウロも言っていたが、人は間違えなくなったら終わりなんだと。その枠に死神も入るかはよくわからないが。
思えば、この話自体死神の"間違い"が始まりだった。
パウロは、今まで身近な人に、特に子供たちに向き合わず、女遊びに現を抜かしてきた。多くの女性が自分に惹かれるくらい、自分は特別な人だと思っていた。だが、自分が思うほど周りはそう思っていなかった。
アガタだって、パウロ一筋だったわけではない。
パウロの友人たちもサッカーの試合結果に賭けて金を擦るし、贔屓のサッカーチームだって負けてセリエBに残留するし、ませた息子はスイミングスクールでできた彼女とうまくいかなかったし、娘はせっかくのお泊り会で友人と喧嘩して帰ってくる。
過ちは必ずある。それで良いのだ。死を司る天界の者たちすら1人の人間に対して2度も死を誤るのだから、ましてやただの人間が過ちなく生きていけるはずがない。

死神がアガタに言っていたが、問題は償い方がわからないことだ。どうすればよいか。曰く、過ちとわかっているなら最初からやらないか、あるいは自分を許してやるのだと。
「いや、償い方は?」と思ったが、まあ死者に対する償いの話だから、相手に対してはもうどうすることもできないし、そしたら自分の気の持ちようの話になるのは当然か。
生者に対してはどうか。パウロは今までほったらかしだった子供たちとしっかり向き合うことにした。たとえ娘に「今までいないと同然だった」と言われるくらい遅くなっても。
要は、どれだけ時を逸しても本来すべきだったことを誠実にやりなさいということだったのかもしれない。

どうしたって誰にでも間違いはある。大切なのはその間違いとどう向き合うか。そういう話だったのかなと思う。


......というかスムージー程度を計算に入れ忘れるくらいだから、結構な人数が死期の計算間違えられてるんだろうなあ。
じゅ

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