るるびっち

国境の南のるるびっちのレビュー・感想・評価

国境の南(1941年製作の映画)
5.0
今年最高の経験!!!!!!(まだ2月ですが)
ビリー・ワイルダー脚本家時代の作品が、『ミッドナイト』『ニノチカ』『教授と美女』以外で観られるなんて!!
日本未公開でDVDもない。正にシネマヴェーラ渋谷の快挙。
劇場で訊いたら輸入盤に劇場側で独自に字幕をつけたそうだ。見逃すと他では観られない!! フィルムセンターにもないかも?
本作は二つの意味で貴重である。
①後のワイルダー作品の萌芽が見られること。
②ワイルダー自身の経験が脚本に反映していると思えること。

①に関しては、命からがら撮影所に逃げ込んだ男が「俺の話を500ドルで買ってくれ」と映画監督に語りだす部分。
これはハリウッドでの監督3作目『深夜の告白』で、瀕死の男が自らの悪事を録音する語りだしに発展し、更に7作目『サンセット大通り』では死体が経緯を語りだす。
後年になる程、命の危険度が増す。『サンセット~』ではついに死体になってから語るのだ。
この冒頭をマネたのが『アメリカン・ビューティー』だ。主演だったケヴィン・スペイシーは、今ではYouTubeで人を励ましている。本当はセクハラ疑惑の弁明が一番語りたい事だろう。やっぱり語りだしは大事だね。

男1人に女2人という関係は、ハリウッド1作目『少佐と少女』6作目『異国の出来事』と共通。本作を含め後半に女同士の対決が見られる。
また主人公が利己的な行動で純粋な人間を危険に追いやり、その反動で主人公自体が破滅していくのも8作目『地獄の英雄』と共通している。

脚本作品『ニノチカ』で、「時計の長針(男)は、なぜ短針(女)を追うのか」「パリの半分が眠り、残りの半分が恋をする時間」などモノに喩えて口説くのが上手かった。
本作でも「僕たちは同じ駅に停車した列車。行き先が違う」
「既に(恋を失い)死んでいるのに、なぜ息をするなぜ歩く・・・夜明けを待っている」その夜明けが君との新たな恋みたいな・・・
モノ喩えで口説くのがお上手~。👏👏


本作はアメリカに亡命したいシャルル・ボワイエ扮するジゴロが、申請に8年待たされる所をアメリカ人女性と結婚することで、特例で渡米を狙う話。偽の恋である。
利己的で目的のために手段を選ばないのは、ワイルダーの前期作品にはよく見られるタイプの主人公。ウィリアム・ホールデンが代表。
『地獄の英雄』では、カーク・ダグラスのアクが強すぎて不入りになる。その失敗の後、ワイルダーは舞台劇の翻案や喜劇が増える。

ワイルダー作品は小道具の使い方で、一冊の解説本が出来る程の完成度だ。
16作目『アパートの鍵貸します』のシャンパンやコンパクトのようにストーリの伏線回収や、人物の関係性の示唆を指摘される事が多い。
しかしキャラクター増幅での使い方に注目して欲しい。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように、伏線回収の小道具は今でも上手い作品は多い。
けれどキャラクター増幅はどうか?
本作ではポーレット・ゴダードが、彼女に夢中な男にハイヒールに注いだ酒を飲ませる形で登場する。
それだけで、カタギの女性ではないと解る。
彼女のセクシーぶりも強調されるし、シーン自体が面白い。
4作目『失われた週末』では、アル中の主人公が酒瓶を窓の外から釣っている。これは部屋に隠すと、家族に見つけられ取り上げられるので、窓の外に紐で釣って隠しているのだ。
これでいかにアル中ぶりが深刻か、同時に家族との関係も解る。
ストーリーの機能以外に、キャラクターの性格や独自性を一目で解らせる工夫だ。
アル中映画は多数あるが、こうした工夫はあまり見ない。
今の映画人は、この辺りをもっと学ぶべきだ。

ワイルダー作品は、社会派サスペンスとコメディがジャンルとしては多い。
しかしキャラクターで選別するとどうか?
本作のように利己的な主人公が目的達成の為、手段を選ばず相手を利用する。必然的に他人を騙す悪人型主人公と、騙される善人の関係が多い。
利己的な主人公が相手の純粋ぶりに心打たれ、しかも自らの計略のせいで相手を傷つけた時、打算的な人物が本来なら絶対取らない非打算的・自己犠牲的な行動をする。そこに人間性の回復が見られ感動に直結する。
悪人が魂の浄化をするか、破滅する展開が多い。
当然、基本は悪人が善人を騙す構図なのだ。

だが後期ワイルダーでは、ジャック・レモンが主人公になる!!
彼はホールデンやボワイエのように主体的にではなく、人が良すぎて断れない形で他人を騙す事になる。
消極的に騙すのだ。善人が他人を騙す形に進化するのである。
20作目『恋人よ帰れ!わが胸に』で、レモンは良心の呵責と闘いながら仮病を装い保険金をせしめようとする。本来のワイルダー型主人公の悪人は、レモンを裏でそそのかす悪徳弁護士ウォルター・マッソーだ。
悪人型主人公が脇に回ったのだ。
マッソーやホールデン型の主人公から、善人なのに人を騙す主人公に変わる。構図は一緒なのに、キャラクターがより人間性を増したのだ。
レモンの発見は、ワイルダー作品にペーソスと人間性の増幅をもたらした。
だがだがだがだが、実はレモンの前に1人逆転キャラが居る!!
それに今回気が付いた。
13作目『昼下りの情事』のオードリー・ヘプバーンだ。
本作の騙すジゴロと騙される純情女教師の関係。
それをひっくり返してるのが『昼下り~』だ。
騙す騙される。行動は同じだが関係が逆だ。
騙すのが純情娘のヘップバーンで、騙されるのがプレイボーイのゲーリー・クーパーなのである。
ジゴロが純情娘に翻弄されるのが『昼下り~』の内容だ。
悪人が人を騙すのは当たり前だが、善人が人を騙したり翻弄する。
ここにワイルダーの進化がある。
これ以降、ワイルダーはあらゆる常識設定をひっくり返していく。
24作目『悲愁』では、整形美女が出る。普通は若返る為に整形する。ここでは逆で老けるために整形する。
理由は・・・ネタバレになるからやめときます。

②については、ワイルダー自身がナチの台頭でアメリカに亡命している。若い頃はジゴロとして生計を立てていたとも言う(自称なので当てにならない)。
AFI(アメリカ映画協会)授賞式で語ったように、国境の役人に何故アメリカに行くのか問われた。脚本家としてと答えると、判子を押しながら役人が、
「いい脚本を書けよ」と言ってくれた。
彼らを裏切りたくなかったから、一生懸命書いた。
この感動のスピーチを学生時代に聞いた。

国境を通り、ハリウッドの撮影所に向かったのだ。
そして撮影所でエルンスト・ルビッチ監督にボーイ・ミーツ・ガール(男女の出逢い)のアイデアはないかと訊かれ、「パジャマの上だけ欲しい男と、下だけ欲しい女が出逢う」アイデアを提供した。
二人はやがて、パジャマ抜きで過ごすようになる。
彼のアイデアは売れ、シナリオになる。(『青髭八人目の妻』)
これは本作の主人公そのものではないか!!

カットされたシーンに、ゴキブリに向かって国境を抜けられない悔しさを吐露するのがあり、それを主演のボワイエにゴキブリと芝居なんかできないよと馬鹿にされた。
腹が立つから彼の台詞を削ってやったという。確かに後半ボワイエの口数は減る。
ワイルダーにしたら、渡米の苦労を否定されたような憤りがあっただろう。12作目『翼よ!あれが巴里の灯だ』では、ゴキブリの代わりにハエが孤独なリンドバーグの唯一の話し相手になる。
彼が映画監督になったのは、そのシーンをシナリオから削ってしまったミッチェル・ライゼン監督への怒りがあったからなのだ。
逆に言えば、ボワイエとライゼンに感謝しなければならない。
彼らのお陰でワイルダーの映画が25本(ドイツ時代の自主映画は除く)も観られたのだから。
そして今、そのキッカケの伝説の映画が日本で観られたのだ。
まだまだ生きたいので、死んでも良いとは言わないが満喫した。
(これでも大分削ったのよ~💦)
るるびっち

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