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トニー・パーカー ファイナルショットのEDDIEのレビュー・感想・評価

4.0
世界中で偉大なバスケットボール選手といえば“マイケル・ジョーダン”の名が挙がるだろう。しかし、フランスでは“トニー・パーカー”の名が挙がる。フランス人で初めてNBAの頂点に達した男のキャリアを回顧し、彼の苦悩や努力を紐解いていく。

NBAファン必見のドキュメンタリーがNetflixオリジナル作品として配信開始!

2001年にNBAの強豪サンアントニオ・スパーズに1巡目28位指名されたトニー・パーカーは、9歳の頃からNBAで優勝することを夢見ていました。
彼の前にフランス人でNBAにドラフトされた前例はわずか4人。1946年にプロリーグとして初めての試合が行なわれて、1949年にNBAの名を冠した歴史あるリーグにおいて国際化が進んだのはまだ最近のこと。

パーカーはアメリカ人の父とオランダ人の母の間にベルギーのブルッヘで生まれ、フランスで育ったフランス人。
父がバスケットボール選手だったこともあり、2人の弟とともにバスケを始めるのは当然の成り行きでした。

10歳でバスケチームに所属したときから負けん気の強さは人一倍、15歳ではバスケの名門パリ国立体育・スポーツ研究センター(INSEP)に小柄な体格で入学し、後のNBA選手でフランス代表としてともに戦うボリス・ディアウやロニー・トゥリアフとチームメイトになります。
17歳にしてフランスのLNBでプロデビューを果たしたり、フランス代表として世界中に自身の実力をアピールしたりとセンセーショナルな活躍をします。

マイケル・ジョーダンに憧れ、ジョーダンを倒すことを夢見たフランス人の体の小さな少年は強気なパーソナリティとスピーディで攻撃的なプレイスタイルでNBAでも早くから頭角を現します。

彼がいかに才能に恵まれ、努力をし、英語が堪能でないにもかかわらず1年目から結果を出し、NBAで4回もの優勝を勝ち取ったのか。順風満帆に見えながらも、周りの嫉妬により苦労した面なども浮き彫りになります。

グレッグ・ポポビッチやグレン・ロビンソン、ティム・ダンカン、マヌ・ジノビリ、NBAでPG争いをしたテリー・ポーター、なんとあのコービー・ブライアントまでインタビューに顔をのぞかせます。
30チームもの才能が雌雄を決するNBAにおいて、1度の優勝でさえキャリアで手が届かない選手は数多います。
なぜトニー・パーカーが4度も優勝できたのか、彼の出自やパーソナリティ、過去のインタビューや現在のインタビューを見ながら納得するばかりです。

NBAファン必見のドキュメンタリー良作!

なんと2021年自宅鑑賞9本目にしてトニー・パーカーの背番号9と偶然にも重なりました。なんか嬉しい。

あとレビュー一番乗り!!

※2021年自宅鑑賞9本目
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