Diorのアトリエで働く引退間近のお針子さんのトップが、移民二世の無職の少女を育てるというお話。
その技術を伝授していくというちょっとしたスポ根的なものを想像していたのだけれど全く違って、むしろ擬似親子のような2世代間の交流をしっかりと描いた人間ドラマの力作だった。
主人公となる2人の女性、お針子さんのほうには仕事にかまけて放ったらかしにして断絶した娘が、そして新入り少女のほうには鬱で世話のかかる厄介な母がいる。さらには少女のともだちの母娘もいて、3つの母と娘の物語が交錯する。
さらには、アトリエの中でも古株が意地悪したり、男性スタッフとの色恋があったりと、わずか100分の中にまあ盛りだくさんな人間模様を詰め込んでいる。
しかしながら、フランス映画らしいエスプリの効いた会話劇と最低限のソリッドな描写で多くを語らず、やたらと2時間半を超えてくる近年のハリウッド映画の冗長さ(どれのこと?w)に比べると実にザックリとしたストーリーで見やすい。
そこに映画のエッセンスとして視覚を楽しませてくれるのが、創業者ディオールの最初期のアトリエを参考にしたというスタジオセット。
もともと映画の衣装デザイナー出身で、ディオール専属クチュリエ―ルのジュスティーヌ・ヴィヴィアンがセットと衣装の監修、さらには「手仕事」の演技指導までを行っている。ディオールの歴史を管理する部門とオートクチュールのアトリエで12年間働き、ディオールの全てを知り尽くしてしかも映画業界も経験済みというこれ以上にない適役で、自然光に包まれたアトリエの優しい世界観、裁断、アイロン、縫製といった手仕事を克明に捉えていて目が離せなかった。
欲を言うと、大型の機械で量産される中国製のプレタポルテとは違い、最高の生地を用いてこれだけの手仕事を経て生み出されるからこそ、あれだけ高価なものになるという説得力が欲しかったかな。ただセレブ御用達でDiorと名がつくから高いわけじゃない、そのクラフトマンシップを垣間見るには物足りなかったと言わざるを得ない。
主役のお針子は、ゴダールの探偵や、トリュフォー、アンリコら仏の名監督と組んできたナタリーバイ。ジュスティーヌは彼女の自宅に高級シルクを持ち込み仮止めさせ、その手触り、艶やかさ、落ち感などを叩き込んだらしく、ろくに洋裁も出来ないらしいナタリーが超一流のクリエイターに見える映像マジックと役者魂には深く感動した。
指先まで張り詰めた所作の美しさ、みんな熟練工にしか見えなくて、いやほんと、俳優さんってすごい。
少女のほうは、今年フレンチディスパッチホニャララ(まだ言うか)にも出ていた同じ仏女優リナクードリ。
盗みや暴言ばかりの粗雑な少女がナタリーと幾度となく反発し合いながらもアトリエに通い、ディオールのドレスを試着するときの美しさは感動的だ。
話の粗さはあるけれど短い時間にまとめ上げられているし、引退前の最後のコレクションを披露するランウェイがクライマックスなのかと思いきや、別のところに用意されてちょっと涙ぐんでしまった。
ここにもフランス移民の問題が色濃く投影されており、また所得格差や、母娘二世間などさまざまな問題も織り込まれている。
そうした人間関係を「布」と「針」と「糸」に象徴させて、それがほかの誰でもない「オートクチュール」として唯一無二の形に仕立てられる意味を、美しい手仕事とドレスに表現した素晴らしい映画だった。