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オートクチュールのumisodachiのレビュー・感想・評価

オートクチュール(2021年製作の映画)
4.4


老舗ブランドでオートクチュールを手掛けるベテランのお針子が、引退間近になって移民の娘をスカウト。家庭環境にも性格的にも問題ありの娘はトラブルを巻き起こすが……。

『パピチャ』や『フレンチ•ディスパッチ』で鮮烈な印象を残したリナ・クードリが暴れ馬みたいな移民の娘ジャドを好演。ナタリー・バイ演じるエステルとの対峙は見ごたえたっぷり。「地味」「盛り上がりに欠ける」という感想が目立つが、そんなことなくない??良い作品じゃん。

引退間近で仕事にプライドを持ったベテランが、次世代を担う規格外の新人と通じ合うという構成は舞台『クレシダ』と同じ。

『クレシダ』は舞台上での表現手法の変化が議論の根幹となっていたが、『オートクチュール』はプレイヤーの変化が議論の根幹となっている。貧しい移民であり、教育や社会的な常識も不十分であるジャドのような若者を、ゴリゴリに保守的で閉鎖的なコミュニティがどう受け入れ共存していくのかという過程をかなり丁寧に描いている。

才能や素質といった朧げだが確かなもので強烈に繋がるエステルとジャド。未熟で世界を知らないジャドはもちろんだが、エステルも欠点が多い歪で孤独な人間なので、ジャドを正しく導くことがなかなか難しい。それでも彼ら自身は強烈に惹かれあって反発し合い、互いの能力を本能的に感じ取る。だからジャドは何度も諦めそうになりながらも食らいつくのだ。エステルもまた、オートクチュールのお針子という仕事が「閉じられた世界」で完結する時代は終わるときっと直感的に感じていて、フランスや世界の変化と共にジャドのような才能を受け入れ、花開かせていこうという未来への眼差しを持っている。だからジャドのことを諦めることはない。

むしろ、本作で肝になるのは周囲の人物たちだろう。『クレシダ』でも傍観者となる人間たちが印象的だったが、本作でもエステルがジャドにこだわる理由や、ジャドが不器用にエネルギーを放出させる意味がわからない人々が戸惑う姿が印象的だった。ある者は理解者であろうとし、ある者はジャドを排除しようとし、ある者は嫉妬する。彼らは、時代が動く際に起こる化学反応を見守るしかない普通の人々。出てくる人物が全員不完全なのがリアルで良かった。

変わりゆくフランス、変わらないもの(色々出てくる迷信がおもしろかった)、社会に根付く差別意識、とても人間らしい感情の絡み合い、そして美しいものへの絶対的な信頼と自信。フランス映画らしい良作。







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