shibamike

羽織の大将のshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

羽織の大将(1960年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

とても感動した。


古典落語に魅せられた青年 十文字忠夫(フランキー堺)が桂五楽師匠に弟子入りして、浮いたり沈んだりするガーエー。

弟子入りの後、十文字には小文という芸名が与えられる。兄弟子には小丸(桂小金治)がおり、いろいろ教えてくれる。

住み込み見習い時代の印象的なエピソードとして、夜寝る前に兄弟子の小丸が稽古をつけてくれるシーンがある。
”さんぼう”?という落語で、箸を酒に浸して、箸を舐めてちびちび酒を味わうというようなシーンを小文は何べんもやらされる。
小文「…お父ちゃん、俺にも飲ませてくれよ…」
小丸「(布団の中で横になって目をつむりながら)ダメ、もう一回。できるまで寝かせないよ。」

その後、噺家として素質のあった小文はメキメキと頭角を現す。
そして、ある程度実力が伴ってきたところで小文は古典落語に疑問を感じるようになり(花魁とか廓とか昔のことが現代人にピンとくるわけがない、とかそういう感じ)、
新作落語へ商売替えするのであるが、これがきっかけで売れっ子となり、時代の寵児に。
テレビ番組、コマーシャル、ラジオなどの仕事ばかりになり、噺家として高座へ上がる仕事はどんどん減っていく。
しかし、手に入るお金は莫大で、あっという間に豪勢な生活を送れる身分となった。

天狗になる小文。
落語仲間や師匠にも尊大な態度をとり、縁を切られてしまう。
「ふん、関係ねぇや」強がる小文。
しかし、栄光は長く続かず、恩のある同窓生を助太刀したところ不祥事に加担する形となってしまい、一気に破滅してしまう。

あれだけちやほやしてくれた世間が途端に冷たくなった。
テレビなどの仕事も激減。
途方に暮れる小文。

ある晩、屋台で兄弟子の小丸に再会した。
心配してくれる兄弟子にもプライドから生意気な態度を取ってしまい、取っ組み合いの喧嘩となってしまう。
その後、ふとした弾みで兄弟子の小丸は自動車に跳ねられて危篤状態に。

病室で寝たきりの兄弟子 小丸。
小丸の側で責任を感じる小文。
つきっきりで小丸を看病する小丸の母親。
寝たきりの小丸がうわごとをつぶやく。
「…お父ちゃん、俺にも飲ませてくれよ…」

”さんぼう”の落語であった。
驚く小文。
小丸の母親が話す。
「これ(さんぼう)は、この子が本当に好きな話だったんです。」

結局、兄弟子 小丸はその後まもなく死んでしまう。

小丸のお葬式。
師匠から破門にされている小文は恥を忍んで、お焼香をあげに行く。
しめやかな雰囲気の中、小文が現れたことで、一同に緊張が走る。
小文を睨む者、眉をひそめる者。
焼香をあげた小文は、兄弟子の遺影に向かってぼそりぼそりと喋りだす。

「…あにさん、…勘弁しておくんなさい。俺は本当にバカ野郎でした…。俺が初めてあにさんに教えてもらったのも”さんぼう”でした。せめて、この場で俺の”さんぼう”を聞いておくんなさい。」

”さんぼう”を語り始める小文。
住み込み見習いの頃とは比べものにならないほど”さんぼう”を達者に語る小文。
「ダメだ。もう一回。」という兄弟子の叱り声ももう飛んでこない。
小文が語り終えると、一同はしんと静まり返る。

反省した小文は師匠の女将さんの仲裁もあり、また噺家としてやり直すこととなった。
一度は「古典落語の世界観は現代の我々に現実感がない」と言って、古典落語を見切った小文であるが、今度はもう死ぬまでやり遂げるであろう。



自分は兄弟子 小丸がそんなに好きだった”さんぼう”を海の者だか山の者だかよくわからない小文に懇切丁寧に教えたということにとても感動した。
「同じ古典落語が好きなヤツ」ということで兄弟子 小丸が自分の大切な宝物を友達に見せてあげたような気持ちだったのではないかと思うといじらしくて切なかった。
小丸は本当に古典落語が好きだったんだな、ということにジーンとした。


小丸のことばかり書いたが、本作は色々面白い映画だった。
フランキー堺の芸達者ぶりは特筆ものだと思う(このレビューでは特筆していないけど)。
選挙応援演説のシーンで、あっという間に机を高座に変えてしまう瞬間とか本当にカッコ良かった。
テレビタレントみたいに忙しく活躍しているシーンでは
「私は貝になりたくない!」
とはっきり絶叫して、21世紀の我々をメチャクチャ爆笑させていたし、ホントに感服しました。


さぁて、脱糞して寝よ!
shibamike

shibamike