rensaurus

ピノキオのrensaurusのレビュー・感想・評価

ピノキオ(2022年製作の映画)
4.0
現代のチューニングに合わせてアップデートすることで今の大人も子供も感動できる内容でありながら、ディズニーならではのファンタジックな世界観を存分に味わえる作品。

姿形や身体的な不自由よりも、正直さ・優しさなどの良心や、自分の意思を示したり、望みを叶える行動をするための勇気を持つ方が重要だと教えてくれた。

あのピノキオの実写版として、違和感はほとんどなかったし、リアルだけどアニメからそれほど離れていないビジュアルの塩梅はお見事だ。ピノキオ、ジミニー、フィガロ、クレオ、ジョン、ギデオン、ロバ、鯨がCGで表現されたが、猫のフィガロはゼペットに飼われているのに、猫のギデオンは二足歩行で行動するといういかにもファンタジーな矛盾点が面白く、リアルなのにそこにあるのは確かにファンタジーだった。

実写リメイクにするだけあって、1940年のアニメ版から数多くの改変が見受けられた。以下からネタバレを含む。

目に止まった改変ポイントは以下があった。
❶ゼペットは妻子を亡くした?
①ファビアナ(サビーナ)の登場
②カモメのソフィアの登場
③キツネのジョンが、より論理的
④ピノキオが嘘から学び自力で脱出
⑤プレジャーアイランドに行く動機は仲間
⑥ピノキオは悪いことをすることに否定的
⑦海底パートをカット
⑧最後に命の危機に陥るのはピノキオでなくゼペット
⑨人間になったかどうかは明言せず
⑩ブルーフェアリーの黒人起用

❶ゼペットがピノキオを作った動機として、妻子を亡くしたようなことが示唆されることで、より感情移入できる冒頭になっていた。アニメ版では、ただただ1人の寂しい老人だった、と思う。

①は、足を怪我して満足に踊ることができないファビアナが操り人形のサビーナとして踊ることを表現するキャラで、操り人形に自由を見出すという、ピノキオとは立場が逆でありながら境遇が似ている人物。ピノキオの、本物の人間になりたいという願いは実際は表面的な問題でしかなく、心こそが大切であると教えてくれるような存在。物語終盤では、ピノキオを操り人形劇団へ誘うが、ピノキオも、ショーに出ることが好きであると認めた上で、ゼペットじいさんを救うことがより重要であると確信させる役割を持つ。

②ゼペットじいさんの優しい行いを受けたことによってピノキオに協力するキャラ。ゼペットが心優しい人格者であることを念押しする役割。

③アニメ版ではピノキオが折れるのがあまりに早く、誘惑に打ち勝って本物の人間になりたいという願いの本気度が揺らぐ印象だったが、今作ではピノキオに「本物になるとは」という哲学的なことや、「お父さんを喜ばせたい」というピノキオの願いにうまく漬け込んだ説得をしたり、学校に跳ね除けられたピノキオを悪くないと励ましたりすることで巧みに誘導し、本物の誘惑としての役割が果たされている。

④アニメ版では檻から出る際にブルーフェアリーが登場し、謎のヘルプが入るが、今作はジミニーとの協力で脱出しており、良い改変ポイントだった。また、アニメ版では「嘘は大きくなる」として鼻が伸びる表現を用いたが、今作では「嘘は人を変える」として説明し、誠実な心を持つことで、本来の姿に戻るという表現になった。ピノキオの代名詞とも言える嘘をつくと伸びる鼻は、自分を偽ると目指すべき自分を見失うという表現のメタファーになっているように感じた。

⑤人間になるにおいて、集団に属することは避けては通れない。子供という仲間が周りにいるピノキオは、同調圧力に屈してしまう。その後の出来事を通して、違うと思うものを違うと言う勇気の大切さなどを学べるようなパートだったと思う。

⑥アニメ版ではピノキオもタバコを吸ったり、物を壊すことを楽しんだりするが、今作では子供に壊される時計を見て、ゼペットが作ったものに似ているから壊さないでと言うなど、良心がきちんと芽生えていることが示唆される。

⑦アニメ版は、水の表現への挑戦としての側面が強いため、波・水中・水しぶきの表現の一環として海底パートがあるが、今作では不要なのでカット。

⑧アニメ版はピノキオがゼペットを救うために一度溺死する。溺死しているところがきちんと映され、かなりショッキングな映像だし、ピノキオが死ぬのはさすがにむごいので、今作の砂浜に打ち上がった状態のゼペットが瀕死になるぐらいが丁度よかった。

⑨ゼペットの本物の子供であることに、本物の人間(完璧な姿)である必要性はないので良い改変だと思う。

⑩あのポジションはどんな人種でも関係ないので特に気にならなかった。それよりも、中途半端にピノキオに手助けをしないでくれてありがとうと言いたい。
rensaurus

rensaurus