スズコ

ひらいてのスズコのネタバレレビュー・内容・結末

ひらいて(2021年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます





終わった後3分ぐらい立てへんかった
原作の残酷さを更に可視化したような
愛とたとえの父の重なる描写とか
特に愛がジュース缶ポイ捨てするとことかはたとえの父の姿が重なってめちゃくちゃ意図的にやってるんだろうなって
あと愛に告ってくる男の子の無理矢理さが弱く見えるほど愛がたとえに迫るシーン
山田杏奈ちゃんは感情の演技がすごくいい
美雪とやるときの嫌悪感と気持ちよさ混ざった表情や段々おかしくなっていく愛に合わせたやつれ方しててすごくしんどかった
それぞれの家族の描写原作より増やしてるのもただの恋愛映画じゃなさ、考えさせる部分があった 愛のお母さんの一見普通そうな感じ、これは原作にもあったけど美雪の親との接し方、敵として描かれるたとえの父とそれに重なる部分を持つ愛。
あと個人的に気になったんは美雪を見つめるたとえ(作間くん)が全然魅力的にみえなくて、寧ろ愛を拒絶するたとえの方がかっこよく見えて、これは私の主観なんやろうけど意識してんのかな、私が蛙化現象酷いのを投影されてるみたいな気持ちになった。これも意図的だったらやばい。
たとえが愛を拒絶するシーンの「結局自分しか」ってやつが刺さってきまって辛かった
たとえと美雪は愛がいなければ普通に幸せに二人だったけど愛がいなければお父さん倒せへんかったわけで、それでいったらめちゃめちゃやばい存在の愛やけど二人の道をひらいた、とも言えるわけで、それでたとえは愛のことをお父さんと同じだと一面的に見るのやめたんかなって、だから木を蹴る愛はそこまでなにも変わっていないように見えるけどそれもちょっと受け入れられるようになったってことなんかな、愛もたとえのお父さん殴ることで少し自分と向き合えたんやろうし二人の思い出だった木を蹴ることでたとえへの気持ちに蹴りをつけて、たとえが好きってフィルター越しじゃなくなったのをたとえがさとって心をひらけると思ったのがあの瞬間なんかも
愛のたとえへの気持ちは恋じゃなくて推しの究極体なんやろう、みたいな考察以前したことあったけどそうなんだろうなって気持ちがさらに強まった 結局愛の自分のことしか見えてなさ、世界を俯瞰で見れてると思ってる自分をたとえと重ねるからたとえを好きになる。だから大森靖子は恋がしたいって歌ってるのかなって
これは百合映画って言ってもいいんかもしれん また一緒に寝ようねをラストに持ってくるのは確か原作とは違ったような それをエンディングまえの1番大事なとこに持っていくっていうのはやっぱ愛と向き合った美雪が愛の心をちょっとひらくことできたって解釈もできる、まあたとえもなんやろうけど たとえと愛が向き合うシーンめちゃめちゃ綺麗やったし
大森靖子のエンディングはすごく考えさせられたし泣かんと思ったけど泣いた。21世紀の女の子以来。大森靖子がエンディングの映画は至高。だけどちょっと悪いあの子が羨ましい とかは美雪からの愛への気持ちでもあるし逆でもある
君の恋心とかうざいよはたとえから愛?
美雪、たとえそれぞれとの関係性を通じて愛がかわっていったってことやったんやというか、原作の解像度がものすごく高まった
カラオケ行ったらあいみょんのふたりの世界歌おうと思った ジュディマリの散歩道はずるすぎる 負けたしもう聴くたびに泣いてしまう

近くの席に座っていた作間担らしき女の子が話はよくわからないって言いつつ作間が恋する話じゃなくてよかったって言ってて良かった。恋だ。
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