ツクヨミ

カビリアの夜のツクヨミのレビュー・感想・評価

カビリアの夜(1957年製作の映画)
4.8
チャップリン的悲喜劇.ジュリエッタマシーナのキャラクター."人生は祭りだ"な人生論が合わさったフェリーニのネオ・レアリズモ集大成。
フェデリコ・フェリーニ監督作品。"崖"から続くフェリーニの長編5作目で、フェリーニのフィルモグラフィー的には次作"甘い生活"から作風が変化するらしく今作がネオ・レアリズモ作品ラストということで見てみた。
まず今作の主人公カビリアについて、フェリーニ作品ではお馴染みのジュリエッタ・マシーナが演じているが実は今作が発出ではなく、フェリーニ単独長編1作目"白い酋長"でちょこっとだけ登場しているキャラクターなのだ。なのでカビリアという女性に着眼点を置いた今作は現代風に言うと一種のスピンオフであると言えるかもしれない。だがカビリア以外のキャラクターは共通していないので、フェリーニ的にはただ単にジュリエッタマシーナ演じるカビリアのキャラクターを掘り下げるために引っ張ってきただけかもね。
まあ今作のストーリーはと言うと、カビリアという娼婦の生活を活写し辛い現実を見せつけるネオ・レアリズモな話になっている。初っ端彼氏から川に突き落とされ金を奪われたり、人気俳優と一夜を共にできると思ったら彼女がいきなり尋ねてきて一人寂しく過ごしたりなどけっこうな悲劇に見舞われるカビリアに涙してしまいそう。だが今作はフェリーニ作品、相変わらず喧しい外野たちの喧騒だったり勝気でどんちゃん騒ぎを繰り返すカビリアのキャラクターのおかげか全然しんみりしないのがまあ意外。そして場面によっては悲劇なのに喜劇にも見えそうな雰囲気はさながらチャップリン作品のよう、"道"でも女チャップリンと呼ばれたジュリエッタマシーナだが、今作は作品の雰囲気そのものがチャップリンみたいでフェリーニがチャップリンのオマージュとして捧げていると思うと微笑ましい。
またストーリー展開というかいつのまにか変な道程を歩みどこに連れて行かれるかわからない前半は何故かワクワクしたし、やはり文無し娼婦カビリアが金持ち人気役者の威を借り夜のクラブ巡りをしたりする様に一緒になって楽しめる感じがまあ好きだ。あと中盤後半と男との絡みの複雑さが後の"8 1/2"っぽくて良い意味で混沌としていた、娼婦の男事情の複雑さをあそこまで軽快にする手腕は流石フェリーニ。ニーノ・ロータの甘美でご機嫌なスコアの力とジュリエッタマシーナのキャラクター像もあるだろうがあのエピソードの物量をうまくまとめる構成がやっぱすごい。
そして終盤の辛辣な絶望悲劇が胸を打つし、その後に待っていたラストシーンがまじで素敵すぎた。信じた男に裏切られたカビリアが夜の田舎道をとぼとぼ歩いていると楽器を鳴らして軽快に歩く楽団若者に遭遇、暗い顔をしていたカビリアを見かねた若者たちが"ボナセーラ(こんばんは)"と声をかけると涙ながらに笑顔になっていくカビリア。落ち込むよりも前を向いて楽しく生きようというフェリーニ的人生讃歌"人生は祭りだ"を言葉ではなく映像で語る演出にじわりと涙が溢れてしまう。こんな終わり方フェリーニじゃないと成立しないだろうし、カビリアというキャラクターじゃないとこの立ち直りは説得力ないなと思うほどしっくりくる。"8 1/2"のラストに匹敵するんじゃないかと思うぐらい最高で美しいラストにめちゃくちゃ魅せられた。
娼婦の現実という重いテーマを持ちながら最後は人生讃歌に持っていくフェリーニにしかなしえない悲喜劇ネオ・レアリズモだった。同じ娼婦の現実を活写する話ならゴダールの"女と男のいる鋪道"があったりするがやはり監督の作家性で同じテーマでもめちゃくちゃ変わるんだなと感じたりして有意義なフェリーニ体験。
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