shunsukeh

対峙のshunsukehのネタバレレビュー・内容・結末

対峙(2021年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

この映画の原題は「mass」で、直訳では「質量」「かたまり」というような意味だ。登場する二組の夫婦は、一方は理由もなく殺され、一方はその殺人を行い自殺するという形でそれぞれの息子を失う。そしてそのことで、心の奥底に沈み込んで浮き上がってこないもの「かたまり」を抱え込む。映画は、説明的な台詞やシーンを挟むことなく、事件の数年後に対面したこの二組の夫婦の会話だけで、過去に何が起こり、それによってそれぞれが抱え込む「かたまり」を観るものに分からせていく。殺人者の母となってしまったリンダは、被害者の母ゲイル、父ジェイに寄り添いたい強い気持ちを持ち、二人の厳しい問いかけに困惑を伴いながらも誠実に応えようとする。リンダの夫で殺人者の父であるリチャードは、リンダの発言、言葉遣いに注意を払い細かく訂正していく。その姿に、彼の心の根底にある自己正当化が見え隠れする。ジェイは当の殺人者を許せずその両親に説明を求め責を問う強い気持ちを持ちながらも、この事件で苦しんでいる妻ゲイルへの気遣いがそれを上回っているようだ。そして、ゲイルはジェイ同様の気持ちを加害者とその両親に持っていた。それは簡単に言うと憎しみだ。そして、その憎しみは、彼女自身を苛み、彼女の愛しい息子の記憶も苛んでいた。その苦しみの果てに、彼女が選んだのは、リンダもリチャードも、そして、その息子も許し、自らもその苦しみから救われることだった。「かたまり」からの解放だ。ゲイルのこの気持ちの告白のシーンは心に響く。ただ、一方で、リチャードはこの告白の最中も視線が定まらず落ち着かない。恐らく、彼の気持ちは、「私には許されなければならない罪はない」というものではなかっただろうか。彼はゲイル、ジェイ夫婦との別れ際でも、何かを言おうとしてやめてしまう。ゲイルの許しに対して何かを言おうとしたのではないか。それは、許しを受入れるものだったのか、拒絶するものだったのか。何れにしても、彼はその「かたまり」を飲み込んでしまった。リンダは、一旦別れたあと、再度、そのゲイルに会いに来る。それは、彼女が行った行為に対する深い後悔の告白をするためだった。リンダはこれで「かたまり」からの解放に向うだろう。
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