KnightsofOdessa

アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイドのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

4.5
[ガール・ミーツ・アンドロイドボーイ] 90点

大傑作。2021年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。アンゲラ・シャーネレクのミューズであり私の大好きなマレン・エッゲルトに銀熊主演賞をもたらした一作。あまり気乗りしなくて半年近く積んであったのだが、さっさと観ておけば良かった。本作品は自分の理想的な異性をアンドロイドとして提供される実験に参加した中年女性大学教授アルマの生活を描いている。彼女は理論と感情の両側面から恋人アンドロイドのトムを否定している。前者はレポートにある通り、"自分承認に溺れると他の人間に触れ合えなくなる"であるとか"そんな社会の中で挑戦や葛藤に耐えた変化が生まれるか?"として、後者では"自分の理想は自分の延長線では"といった生理的気持ち悪さや仕事に集中したい時期的な問題として。展開としてもいわゆるロマンス映画的な否定→肯定の王道を辿るが、結局どちらの問題も解決されないので、縮まっていくとはいえ終始距離感があるのが面白い。究極的に便利で気持ちの良いものに全てを渡してたまるかという人間の抵抗、是非やっていきましょう。

また、機械が人間に近付いていく世界の中で、それらに境界はあるのかという疑問も投げかける。アルマはトムに対して"感情はプログラムだろ?"と煽るが、信号の発信源が有機物か無機物かの違いだけで、実はそこまで変わらないのではないか、という疑問である。だからこそ、危険であるとするのが上記の"理論"側面の帰結だが、現にザンドラ・ヒュラーは見分けられなかったわけで、アルマ=現在としては"境界はある"としつつ映画としては"境界はなくなる"としているのが興味深い。現在と未来を橋渡ししつつ、それが生活に入り込むことについて冷静に観察していくのだ。

想い出の場所で二人が並んでいるラストでは、アルマがトムの原型になったであろう少年の想い出を語っていく中で、画面の外側にトムを締め出し、まるで全てが夢だったかのような暗転で終幕を迎える。他の人には危険だから渡せないけど私だけは…とも見えてしまう終盤が一気にひっくり返る、ビターな選択で良い。

追記
これを観終えて"よし、ポスターの皺は消そう"となるのは逆に凄いと思う。皺消しのアルバトロスって永遠に言い続けてやる。
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