1967年、羽田空港に通じる弁天橋で機動隊と学生運動家たちが衝突した。その時、京都大学1回生だった山嵜博昭さんが亡くなった。
結局彼の死因は機動隊に頭部を殴られたからなのか?それとも装甲車に轢かれたからなのか。彼はなぜ死ななければならなかったのか?あの時代、あの若者たちの熱、そんなことを彼の人生を通し、家族や学友たちの言葉、そして羽田に至るまでの事を振り返る。
1人の青年の回顧録のドキュメントって珍しい、彼が一体何を考え、本当に何を目指していたのか?思い描く未来はどんな世界だったのか気になるけれど、本当に彼は死ななければならなかったのか?
学生運動の悲喜交々、彼らの仲間たちもその後色んな人生を歩んでいるわけで、理解しがたい人もいたし、今の時代にその当時の若者たちがタイムスリップしてきたら一体どうしたんだろうなんてふと思った。
山嵜さんのお墓があんな所にあるんだなと一度お参りに行ってみてもいいかなぁとふと思った。