メッチ

ボーはおそれているのメッチのレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
3.2
前半は、"実家に帰れない訳は?"大喜利。後半は、例え血の繋がった親子でも他人という皮肉。

この監督の作品は、ホラージャンルという枠組みなどの型にハマらない新しいジャンル映画であり、"癖強強"映画でもあるでしょう。私には伝え方が"癖強強"なため苦手ですが、監督自身の作家性があるためなのか言いたいことが伝わってしまう複雑さが際立つ印象があります。

あらすじは、怪奇な最期を遂げた母の葬儀へ向かう。しかしそれは、なかなか辿り着けない旅の始まり。
一見、毒親もの?と思いもしまいましたが、『ジョーカー』のホアキン・フェニックスが演じる主人公ということだったので、序盤から恐らくそうであろうと思っていたらそうでありましたが、「こんなこと起きたらイヤだな〜」をずっとみせられている感じですね。
作中の殆どが真実から逸れたことをみせられる?といえばいいのでしょうけど。

それより、毒親ものをやるだけかと思っていましたが、そのさらに奥ものを提示していた気がします。お互いがお互いを愛していると尊重するあまり、相手をみえていない?感じ。片方は愛の押し付けが過ぎていたけど、片方は愛の返し方が"皆平等"ということから片方の怒りが募ってゆくことになる。(ただこれについては、爆発する前に相手に伝えなさいと思ってしまった私は甘えなのでしょうかね?)
でもこういうところから思うことは、ボーの母親はADHDという発達障がいについてどこまで知っているのかですね。母親のお家に、自身が経営する会社のサービスの ADHDの治療を謳ったポスターが貼ってありましたが、ADHDは完全に治療することなど出来ません。それに、そのポスターには自身の息子を使うという始末。
ここから察するに、息子がADHDであることを認めたくないとか、そうだとしても愛を注げば完治できるとか、そこからエスカレートして「"普通"の人になりなさい!!」という母親の偏った考え方が伺えます。我が子なら出来て当然と思っているようですが、血を繋がっていても他人は他人ですけどね。

最後に、声が大きい方が評価されて、声が小さい方が淘汰される現代。声が小さい方が何を言っているのか分からないし、伝える気がないからシャットアウトしてしまえという考え方が、本作の母親の考え方とダブってみえましたし、柔軟性のない"昔ながらの考え方の人"を連想させていたのは意図的だったかと思いました。
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