Schiele1918

ボーはおそれているのSchiele1918のネタバレレビュー・内容・結末

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

映画館で見たほうがいい。

トト・ザ・ヒーローにおける快哉、リアリティのダンスにおける錯綜、ブレードランナーの狂奔を見た。
それらから創作者の優しい手触りを削ぎ落とし、不安の中にゆっくりと沈んでいく、射精できないビデオドローム。
そういう自分の未熟で稚拙な引き出しから手出しの例示をしたところで誰に届くこともないが…それを厭うならそもそもこんな愚考を世に出すべきではないんでしょう。

自分を開示することの恐怖や不安を乗り越えて他者を得ることに意味があると知れば自ら漕ぎ手になって大海に出るのだろうが、それが叶わない世界の支配力に出会ってしまえばもう自我が崩壊するしか無い。
あるいは、そこから抜け出すことの恐怖に押しつぶされたところで旅は終わる。
現実とは異なるものを描くから創作があるとして、これほど悪用された映画は無いかもしれない。
そういう不安を鑑賞者に突きつける悪趣味がホラーと言うならこれは間違いなくホラー映画。
受け取れる安心があるとすれば、不安だけが人と人を繋ぐ鎖になれることかもしれない。

最も近似した作品を選ぶとするなら、イレイザーヘッドか。
でもリンチは自分の中にあった種から育てた苗で作ったし、逃避することでしか完結させなかったので全く純情だ。
筒井康隆「エディプスの恋人」は別の視点から同じものを描いたかもしれない。
…と書いて思ったが、筒井康隆の作品にある俗悪で卑劣で露悪でしかない作品にはどこかこの映画に通じる悪意と満足感があるように感じた。
それはつまり、悪意溢れるサービス精神である!

アリ・アスター監督には、悪意を塗りたくるサービス精神の旺盛さで感心させられる。監督ありがとう。また会いたいから元気でいてください。
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