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ボーはおそれているのyahのレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
3.4
公式Xが投稿していた『鑑賞後に楽しむ解説サイト(同一内容がパンフレットにも掲載)」に全く納得がいかなかったので、作中で明示されたアレやコレを踏まえながら解説します。

明確な“答え合わせ”を最後に掲載するので、よければお付き合いください。


⚠️この作品には強烈なネグレクト(児童虐待)描写が含まれます。そのような経験をしてしまった方、苦手な方には決しておすすめできません。また精神状態が不安定な方の鑑賞もオススメできません。


💊💊💊


アリ・アスター監督の長編3作目にして、最大の問題作。『ヘレディタリー 継承』の強烈で陰湿なジャンプスケアや、『ミッドサマー』のゴア描写とほ全くジャンルの異なる、精神を蝕み続ける問題作。

本作も過去作同様原作がない完全オリジナルストーリーではあるものの、アリ・アスター自身が若手時代に撮影した7分間のインディーズフィルム『Beau』から着想を得ている。

『Beau』はかつて公式YouTubeや公式Vimeo、海外サブスクサービスなどにて視聴可能だったが、現在は違法転載含めて全てのプラットフォームから削除済み。

共通項は精神疾患の中年男性、母親との電話、パジャマ、そして例の鍵を無くしちゃった!のくだりくらい。
長編版以上に意味不明すぎるオチは難解というか、答え自体が用意されていないような短編映画だった。



以下の内容は映画の核心に触れます。


✈️🎟️🔑


多くのFilmarksレビューやネタバレ感想投稿でも無視されていた点が、この映画最大のドンデン返しについてだ。


本作は序盤から終始、

「統合失調症・解離性同一障害を患う中年男性ボーの視点で体験する、不安定で狂気的な世界」

ように描かれるが、遂に実家(正しくは“母親の家”と呼ぶべきか)に到着する最終章にて

「統合失調症・解離性同一障害を患う中年男性が見ていそうな不安定で狂気的な世界を、莫大な財力で創り上げてしまい、借金まみれの人間らをエキストラとして雇用し、なおかつボーや外科医の妻グレース&ティーンエイジャーの娘トニらを投薬により思いのままコントロールしようとする製薬会社社長でありボーの実母モナ・ワッサーマンが仕組んだ(ほぼ)全てが我々観客の観たままありのまま現実に起きていたこと」

だったという大ドンデン返しが待ち受けている。


観客に隠し続けられる裏設定は『ヘレディタリー 継承』はもちろん台湾ホラー『呪詛』などの映画作品に限らず、
2023年末に大きな話題となったテレビ東京制作のホラーコンテンツ『祓除』、またその『祓除』の大森時生が手がけたお笑い芸人Aマッソの衝撃的なライブイベント『滑稽』など、実は近年流行りの作風でもある。

Aマッソ『滑稽』に至っては、キービジュアルポスターをA24御用達のヒグチユウコ×大島依提亜に依頼するなど、まさに“最近のこういう怖いやつ”的な共通項が多い。


📺📺📺


モナが一代で成し遂げた(成り上がったと言うべきか)功績を讃える様々なポスターなどの資料には、彼女が深く愛していた幼少期のボーがたびたび登場する。

ボーはおそらく小児治験の実験体でもあり、子供の頃からぼーっとしていたのは薬漬けの影響なのだろう。
アレルギーの薬から発達障害の症状を抑えるようなもの、ニキビ用クリームまで様々な薬品広告にボーが使われているのは、それらを示唆しているのかもしれない。


🚹🚹🚹


“男性器の怪獣”と性交渉し、一卵性双生児の兄弟を授かり、自分が母親から受けられなかった愛情を子供達に求める歪みに歪んだモナの劣情が一気に露わになる最終章はあまりに唐突かつ、そして一向に終わりが見えない“クライマックスの連続”に疲れ果てる鑑賞者がほとんどだろう。

また、当然のZ級スプラッター描写に戸惑う人も相当多かっただろうが、怪獣はなにかのメタファーでもなんでもなく、あの世界に存在する“ああいう生き物”としか捉えようがない。回りくどい解釈をするのではなく、馬鹿馬鹿しい描写もそういうものだと真正面から受け入れる、それこそがZ級ホラーへの最大の敬意でもあるからだ。


🕷️🕷️🕷️


本作は『本当に劇中で起きていたこと』と『ボーの妄想や夢に過ぎないこと』の境界線が非常に曖昧に描かれているが、最終章にて一気に示される様々な“証拠”により、なにが“現実”で何が“妄想”かを線引きすることができる。


🗒️🗒️🗒️

🚿第一章

・ボーが住む区画の治安全体
→現実

あの区画はボー母親モナ・ワッサーマンの会社による精神障害者やホームレスなどの支援施設を兼ねていることが実家壁の資料から判明する。
また街中にはM.W.社の広告が掲載され、CMが流れており、ボーが住むアパートにタトゥー男が侵入しようとする/ホームレスを無視する様子は監視カメラの映像として審判が下されるシーンでも使用される。

一部の住民は莫大な借金を背負っており、特に目潰しや全裸、暴力的な扱いを受ける人々は返済のために役を演じている可能性が高い。(第四章にて登場する身代わりになって死亡したメイドや、ボーの初恋/初体験相手も莫大な借金を背負っているとセリフにて説明される)

パンフレットの解説では、第一章は妄想と断然してしまっているのが大変悔しい。ちゃんと映画観たのか。


・ジプノチクリル服用後の断水
→現実

必ず水で服用しなくてはいけないジプノチクリルを処方する→断水させる→水を買いに行くために外出させる=ボーの動向を観察する実験

※ジプノチクリルはM.W.社が開発した架空の薬


・音量を下げてもらえないか!?の手紙
→現実

ボーを追い込むために母親が行った実験のひとつ。ボーは本当に無音でただただ寝ていただけ。


その他、危険なものを所持していない/身動きを止めているのに警官(役の男)が銃を構え『武器を捨てろ』『動くな』と叫ぶくだりや天井に張り付く男なども、ほぼ間違いなく現実に起きたことなのだろう。警官もただ役を演じているだけなので銃の取り扱いに慣れておらず、『撃たせないでくれ』というのは狂った芝居に参加させられた挙句追い込まれた彼の悲鳴なのかも知らない。


🏡第二章


第二章はほぼ全てが現実だと言い切ってもよいかもしれない。

注目するポイントは外科医の妻グレースは「薬を服用する側」なのでM.W.社のコントロールを完全には受けておらず、社が設置した監視カメラの映像が確認できるテレビチャンネル“78”の存在を伝える。

このくだりでボー及び私たち観客は物語の終盤までのハイライトを先取りして見ることになるのだが、これはあの世界での現実と妄想を曖昧にするための“虚構”なのかもしれない。

またラムネを噛むように精神薬を飲み(オーバードース)、大麻でハイになっているティーンエイジャーの娘トニもM.W.社の人間ではなく、モナのコントロール外だった。

モナはM.W.社員であるロジャーには意のままに指示を出していたが、コントロールしきれなかった“娘トニ”“妻グレース”“退役軍人ジーヴス”3人の暴走により、物語は大きく前進する。

計画外である娘トニの自死がなければ、グレースがボーの殺害を命じることも、ジーヴスが暴走し父であり夫である男性器怪獣を襲うこともなかったのであろう。


🐞第三章


カルト的な劇団はおそらく現実に存在するが、M.W.社が関与するものではなさそうだ。

ボーに忠告した細身の老人はM.W.の社員または元社員、元患者などに近い立場なのかもしれないが、彼に危険が迫っていることを伝えた味方でもある。

またボー以外にもあの森・劇団に迷い込んでしまった人間は少なくないよう。(理由は不明)


『舞台と客席の境界線を曖昧にする衣装』を着たことにより、必要以上に劇に入り込み、数十分にも渡る妄想をしてしまったあのくだりは、言わずもがな、妄想だ。
(あの長尺劇中劇はただただ悪夢を引き延ばすための、『絶対に省くことのできない無駄な時間』だった。不快感を高めるためだけに取り入れたのだろう。)


🚣‍♀️第四章〜エンドロール


このパートも、ほぼ全てが現実に起きていることだと証明される。

ボーがヒッチハイクのための親指を立てた瞬間に車を止めた人間がM.W.社の関係者かは不明だ。

怒涛の展開が連続する最終章では、『ボーの父親』が実は男性器の怪獣だということ、ボーの幼少期の記憶は解離性障害による傍観者的な視点ではなく『先に母親に歯向かった双子の片割れ』だということが判明する。

ボーの性器が父親譲りの大きさであることは、第二章にて外科医ロジャース(父親の正体を知らない)が『睾丸が腫れ上がっている、検査しよう』と語りかけるセリフ、また第四章のエレインとのセックスシーンにて『コンドームを突き破るほどの精力』などの描写にも反映されている。


また幼少期の回想シーンの初恋相手エレインの母親がなぜ急に娘と共に船を下りたかの理由は、エレインこそが父親譲りである心不全の持ち主で絶頂を迎えると死んでしまう可能性があるからだったのであろう。

エレインはモナもしくはM.W.社への莫大な借金を一気に返済できる条件として『ボーとのセックス』を持ち掛けられた。モナにとってエレインは(息子としてだけではなく恋人代わりとしても)愛する息子を奪った憎き女であり、心不全を抱えている「ちょうどよい人材」であったのだろう。エレインの死を何十年も願い続けていたに違いない。



そしてエンドロールまで続くクライマックス、コロシアムのような劇場で行われる裁判シーンだ。

あれもまた現実なのだろう。あの救いようもなく馬鹿馬鹿しい大オチが現実でないと、むしろこの映画の締まりが悪くなってしまう。


パンフレットでも言及されているように、ドーム型の施設で観客(傍観者たち)が主人公を見つめる最後のシーンはジム・キャリー主演『トゥルーマン・ショー』へのわかりやすすぎるオマージュだろう。

本国アメリカでの映画館では、エンドロール突入と共に大勢が支度を始め、1人また1人とスクリーンを去り最後にはほぼ誰も残らなくなるのが定番だ。むしろ身支度のために館内の照明さえ点く。

静かなコロシアムで1人また1人と支度をはじめ席を立ち、最後には誰もいなくなるあのエンドロールはスクリーンの向こう側もこちら側の境目を曖昧にし、更に不快感を煽るための演出だろう。


我々はわざわざ2000円を払い、ホアキン・フェニックスが演じる『ボー』という人間が発狂する様を観に来た観客、傍観者なのだ。コロシアムにいる彼らもきっとM.W.関係者に限らず、そういう観客なんだろう。(決して富裕層のような服装でもなく一般的な服が目立ったのも、映画館観客に合わせるための描写だ)


そしてそもそもの大前提、この映画が始まる前、配給・制作会社一覧にはM.W.社のロゴがしっかりと映し出される。

最大のネタバレは本編が始まるより前に提示されていたのだ。我々ははなから、モナが創った作品を観ていただけの観客だったのだ。


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あまりに気分の悪い映画『ボーはおそれている』は笑っちゃうほど怖いホラー映画『ヘレディタリー 継承』のようなエンタメ性も、人によってやストレス解消や“救い”にさえなった2020年サブカルチャーの象徴『ミッドサマー』のようなポップさも存在しなかった。


50年近くも地震の息子たちを虐待する母親モナが一切の裁きを受けないエンディングや、少女時代のエレインにセクシャルな水着を着せるペドフィリア染みた演出はあまりに気分が悪く、今作はアリ・アスター監督作品で唯一苦手な映画として挙げる作品になりそうだ。


2024年最も楽しみにしていた映画に乗り切れなかった私は、当面立ち直れそうにない。

今もまだ帰路での震えを、爪が青ざめるほどの低血糖を、鑑賞中及び翌日止まらなかった涙を思い出す。


アリ・アスターめ、やりやがったな。
次はもっと楽しめる映画を頼む、頼むぞ。頼みたい。お願いだ。このまま貴方の今後のキャリア全てを嫌いにはなりたくないんだ。
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