Layla

ボーはおそれているのLaylaのネタバレレビュー・内容・結末

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

ストーリーの転換にあまりにも脈絡がなく、場面ごとに舞台や語り口も変わるので、何を見せられてるんだろう……という気になった。コメディっぽいパートはとことんコメディだし、やたら詩的なくだりもあったり、ホラー描写はけっこうなホラーだったりで本当にまとまりがなかった。ただ私としては、意味不明だなとは思いつつも、ヘレディタリーやミッドサマーを鑑賞している時に感じた「これはあとで解説を読まないといけないやつか…」という煩わしさが少なめだったのは良かった。目の前のスクリーンで起きていることを「そういうものか」と受け入れているうちにクライマックスに向かっていた。

ヘレディタリー、ミッドサマーともにこの監督は“人は自分の運命や家族、血統からは逃れられない。それは運命でありある種の呪い”というテーマを描いている。「見たことのないもの、体験したことのないことに感じる恐怖」というよりは、「知っている恐怖、こうならないでほしいと願っていることがすべて起こってしまう恐怖」を過激にデフォルメして描いている気がする。

今回ボーを観たあとに自分なりに(苦手なはずの)アリアスター監督について考えて、色々な人の解説や考察、アリアスター監督と母親との関係性などを見聞きして出した一つの解としては、“自分が一番起こらないでほしいと思っていることやとんでもない悲劇も、たぶん生きていたら起きてしまう。そうなった時に人は科学やロジック、そして自分の知識や想像の範囲内で事象を処理することができなくて、物語を欲するのではないか”ということだ。

作風は全然違うが、ティム・バートン監督の「ビッグ・フィッシュ」も大ぼら吹きの父親を嫌っていた息子が父親の死に際して父を受け入れていく、その過程で、息子自身も夢か現実か分からないような体験をする…というストーリーだったのを思い出した。

自分が恐れていることが起きてしまった時、自分自身を納得させるために取る手段は人それぞれで、宗教はその最たるものかもしれないが、アリアスター監督は自分の物語を紡ぐことで納得しようとしてるのかもしれないな…と思うと、監督への苦手意識が少しだけなくなった。

本作、原題は”Beau Is Afraid”で音だけだと「ボーイズ・アフレイド=少年たちはおそれている」とのダブルミーニングになっているので、邦題を考えるのも大変だったろうな…と。
Layla

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