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エッシャー通りの赤いポストのkatomのレビュー・感想・評価

3.6

「エキストラは背景じゃない!一人ひとりがドラマの主人公なんだ!」映画制作現場からの悲痛な叫び声を封じ込めたドキュメンタリーのようなフィクション。

映画の尺の大部分を占めるエキストラ一人一人のドラマ。

5,6人分続くため長いと感じてしまいますが最後まで見るとそれも「エキストラは背景じゃない!一人ひとりがドラマの主人公なんだ!通行人AとかBとかの短い一言ですませんじゃねえ!」ということを伝えるための演出だったのだと気付かされ巧さを感じました。

この映画に登場するエキストラ役はオーディションに来た役者達だけではありません。小林も、プロデューサーも、いや映像に映っていた人間全員です。

皮肉なことに、小林はプロデューサーの描くドラマのエキストラであり、プロデューサーはエグゼクティブプロデューサーの描くドラマのエキストラなのです。

劇中劇を使ったそうしたみせ方は、まるで「みんな他人の書いたシナリオのドラマのエキストラとして生きているのだ」と言っているようでした。

不条理なシナリオの中で操り人形の如く踊らされ、「そんなんやってられるか!」「こんちくしょー!!」といった感情を誰しも内に秘めて生きていることでしょう。

引き金を引く勇気さえあればそんなシナリオの 1 シーンなぞ簡単にぶち壊せます。けれどぶち壊したいけどぶち壊せない。ええい!ぶちこわしちゃえ!!!!!それを映画でやってみせてしまうのが園子温という人なんでしょうなあ。

引き金引いた藤丸千さん、本当に良かったです。鳥居みゆき的狂気がありました。

園子温監督の作品は、「俺は園子温だ!」を始めとする前衛的で実験的な初期作品、ユイスマンスの「さかしま」をベースに作られた「奇妙なサーカス」、「新宿スワン」を観たことがあります。

それらと本作を通して、演者の体を通じて現場の空気ごと歪ませて心の叫びや痛みを生々しく描き出すのが私の思う園子温監督らしさです。

また、本作は映画よりも演劇を観たあとの余韻に近いものがありました。特に小劇場の演劇。

私は本作や小劇場の演劇のような "体当たり感" に滅法弱く、園子温監督自身の痛みや叫びが伝わってきたような気がして気づけば涙を流していました。

プロとして映画の監督業を努めてきた園子温監督だからこそみえた景色や蓄積された心の叫び。そうしたものに触れることができて貴重な体験でした。

商業映画で食べてきた人が、"商品" としての映画を真っ向から破壊した作品。それは過去の自己を否定する行為でもありましょうか。とにかく生成されたエネルギーの量がとんでもなかったです。

大抵の映画には、完成されたといいますか、俯瞰的に編集されたからか "落ち着き" や "静けさ" がありますが、本作は秩序をアンチする "カオス上等!" 精神が半端ない上に、ナマ物でかつ、リアルボイスを集めた意見書でした。映画制作現場のドキュメンタリーとも言えるかもしれません。
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