ヤマダタケシ

バーシティ・ブルース作戦 裏口入学スキャンダルのヤマダタケシのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

2021年6月 Netflixで

 学問もスポーツもそもそも何かのためのものでは無くそれ自体を純粋に探求すべきものだと思っているため、今作を見て思ったのは大学と言う場所、スポーツという物が資本主義の中でのブランド、商品になってしまっているという事。
 ここでリックがやったことは不正なわけだけど、資本の理論に従えばなんとしても自分の子供を有名大学に入れたい親の需要に応えたわけであって、なんとなくシンガー自体が悪というよりも、その大学名自体がある種のブランドになっている、それを作り上げてひとつのステイタスにしてしまった構造自体のグロテスクさが浮かび上がる。
印象的だったのが、この通用口入学を成立させるために奮闘していたシンガー自体の私生活が意外と質素だという事。贅沢と言えば豪邸に住んでいるぐらいで、睡眠も基本飛行機の中、服装は終始スポーツウェアである。資本の論理に忠実な人物が燃え尽きるまでを描いた映画としては『アンカットダイヤモンド』『ウルフオブウォールストリート』あたりを連想するが、その主人公に比べるとシンガーは徹底的に質素である。そこには何となく、使うためにお金を稼ぐというよりは、より多く稼ぐために稼ぐというスタンスが見えるし、その需要に応えていくことそれ自体が彼の原動力だったのではないかと思える(純資本主義的な人物)。
彼の目からすると、大学もスポーツもセレブも均等に見えていたように思う。それ自体の意味などでは無く、お金に換算した時の価値、利用できるものとしてそれが映っていたのではないだろう。少なくとも、別にそれを描く必要は無いというのもあるのかもしれないが、今作でシンガーの趣味や嗜好、大切にしているものがなんなのかが全く分からない。
そこからするとヨット部のコーチこそがその真逆な人物であり、マイナー競技であるヨットの練習環境を整えるためにお金が必要で、気づいたら不正に加担してしまっているのである。研究とかスポーツとか芸術とか、本来お金になる事とは別の物が資本の理論の中で生き残って行くために、資本の理論に飲みこまれていく様は悲しいのと同時に、これは特に大学と言う、本来の意味では必ずしもイコールでお金になるわけでは無い場所が、お金の理論の中に呑まれていることの問題な気がした。
そしてそれはスポーツのプロ化の問題であると思うし、東京オリンピックにおけるIOCの問題だと思った。