みち

彼女が好きなものはのみちのレビュー・感想・評価

彼女が好きなものは(2021年製作の映画)
4.4
映画のシーンで、僕が好きなものは、登場人物が自分のなかに封じ込めていた何か、押しとどめていた何かを、解放する瞬間で、それは必ずしも直接のセリフではなくて、男の脚から外れていく補助器具であったり、プリンセスがやっとのことで絞り出す歌声だったりするのだけれど、今回は。

原作を読んだ時点で衝撃的で、「〇〇とはこういうものだ」と思い込んでいた自分自身に気づかされて、終盤の展開に驚かされて、今までの自分を殴りつけたくなったのを覚えている。

映画化の想像も、した。それでも、壇上のあのシーンだけは、安っぽくなりかねない、と思っていた。どうしても浮いてしまう。嘘くさくない、それでいて全部を曝け出したみたいな、感情の発露を、ぶつかり合いを、文字からセリフに、テキストから映像に起こすのは至難の業で、それを乗り越えているからこそ、僕はこの映画を讃えたい。

神尾楓珠、山田杏奈、前田旺志郎、三浦獠太、みんなよかった。

前田旺志郎の、出てくるだけでその後の展開やキャラクターがわかってしまうあの感じはなんだろうね。間違いなく観客の気持ちを集める脇役。

試写イベントで話をしている神尾楓珠はとてもハイテンションで、少しお調子者の感じもあって、それはそれで好印象だったのだけれど、映画のなかでは、監督の言う通り別人で、確かに彼は原作にいた、ジュンだったと思う。

そして山田杏奈。試写前の話を聞きながら、落ち着いたいい声をしているなあとは思っていて、映画が始まると、恋をして舞い上がる、可愛くあろうとする女の子、の前半はとても自然な演技だなあくらいの感覚で観ていたのが、恋人の秘密を知ったあたりから、表情にすっかり惹きこまれてしまった。そしてあの長台詞、壇上のシーンだ。これからこの俳優が何本も新作でお芝居をしていって、ふと振り返ったときのハイライトには確実に加わるカット。

撮り方も飽きさせない工夫があったし、何より脚本が素晴らしく、原作へのリスペクトを感じた。

誰かを「理解する」ということは、ややもすれば「理解したことにする」に陥ってしまうもので、映画のセリフに倣うなら「簡単」にして「摩擦をゼロ」にしてしまうことで、誰かが言ったようにほんとうの意味で「理解する」ことなんてできなくて、ただただ、「理解しようとし続ける」という営みのことを人は便宜上「理解する」と呼ぶのだと思う。

主語を「ホモ」や「腐女子」や「男」や「女」その他さまざまな属性で語らずに、ほかならぬ「私」や「あなた」で語ることは、思っている以上に難しい。

最後の最後まで見ると、監督がイベントで言っていた、原作本の表紙が素敵だった、という話も少し、思い出される。

もっともっと、「好き」が自由でありますように。

──完成披露試写会にて。
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