Solo1968

ノーカントリーのSolo1968のレビュー・感想・評価

ノーカントリー(2007年製作の映画)
2.7
コーエン兄弟 入門第二弾として新たな気持ちと心構えで8年ぶり?の再鑑賞。

初めて観た時からの年月で三桁は様々な映画に触れ多少なりの映画を楽しむための経験値は上がってはいるはずなので、当時様々な賞を獲得したという事で大いに期待して観たものの、誰しもが感じるあのキャラの不気味さ位しか残らず、自分には映画界における賞に値する脚本なり味わいが全く理解出来ない立場、すなわち門前払い感を感じていた。
繰り返し観て、称される理由を探そう、学ぼうという気力も起きず
そのまま置いてきたままの作品。
時は経ち、幾分かの知識を身につけ、そして何よりもコーエン兄弟への興味がぐつぐつと沸騰している今こそ、あの時に感じた 置いてけぼり感 不完全燃焼 どころか極一部の表面的な内容しか理解出来なかった自分がどう受け止めて味わう事が出来るのか?
しかも一度観ている事から 作中で起きるショッキングな場面や大まかな展開は既に知っているのは寧ろ字幕に追われ、理解できない台詞に疑問を持っているうちにシーンが進み置いていかれる というよくある失敗の可能性も少なく これで自分もコーエン兄弟の作品が好きですね!と他人に言えるようになる絶好のチャンスだ!


果たして コーエン兄弟入門 第二作目は僕に魅力を分けてくれる事は出来たのか?

結論

初めて観た時に感じたアントンシガーの不気味さは、2度目も鮮度こそ下がるも どこをとっても不気味であるのは変わらずで、これはコーエン兄弟の魅力を知ろうとして観た今回に得た感覚では無い。

本レビューを投稿する前に色々な方の考察なども参考にして本作の魅力を調べてみたが、やはり数年前と今でも自分には学のなさが致命的で 本作の味を堪能できていない事だけが浮き彫りとなった。

一応オープニングで出てくる
原題
No Country For Oldman

邦題では省略されている
部分も踏まえ考えながら見終えたものの、エンディングの回想から語りでブツっと終わるあの演出などの意図も全く理解出来ず、。

色んな方の考察でオープニングとエンディングで語られる二つの異なるキーワードは有名な詩人 共に別人 によるもので
それになぞった始まりと終わりで、そのまとめ方が見事!という
レビューを多く見かけたが、自分にはどちらの詩人の名前も知らず、学校の教科書で読んだり学んだものすら覚えていないのに、そういう文学が予備知識として持ち得ていないと本作が称される理由を自然に体感するのは困難だなと。

本当に日本で普通に育った人たちは そういう部分を知っていて作品を見て気づいて感動したのか?と不思議に思う。

色んな知識があるからこそ楽しめるのも良いが特に文学などの知識が無くとも作品だけで心動かされるような作品が自分には向いていると確信。

またその有名な二つの詩を今知ったところでも本作のテーマとなる

老いた人間には生きづらい国
だけど、希望がないわけじゃない、
というのがしっくりくるかと言うとそうでもない



ファーゴで得た これはもしかして?好きかもしれないぞ、という浅はかな期待は結果的に泡となり、コーエン兄弟の魅力を知る旅 第二作目はでは足踏みとなった。

次は何にするかな
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