せいか

ライダーズ・オブ・ジャスティスのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

5.22、アマゾンビデオでレンタルしたものを視聴。字幕版。以下、メモになる。

ストーリーラインとかどうなるかとかは正直冒頭の時点で読めたが(というか読めた上でどこに軸があるのか分かるようにしていると思うのだが)、だからといって退屈なわけではなく、むしろそんなストーリーラインに乗せつつ徹底して主題を皮肉と共に貫いている面白みがある。主題をこれでもかと生かしきることに全力を注いでいる作品。もちろん、読めるとはいえ、ストーリーも面白い。ただの単純さに堕していない。
あと、観る前はもっとドタバタして犯罪組織に復讐するぜ!みたいなものかと思っていたけれど、もっと骨太のしっかりした作品で、コメディーを観る腹積もりではあったけど、めたくそ面白かった。

タイトルは英題をそのままカタカナにして主人公が立ち向かうことになる組織の名前になっているけど、原題も「Retfærdighedens Ryttere」でおおよそ同じ意味のままにされている。
2020年製作、日本公開は2022年の作品。


短絡的思考と自らの行動の行く先を考えられないって怖いなとしみじみと感じる作品だった。そしてそういったものをひたすらブラックユーモアでぐちゃぐちゃに混ぜ込んでドロドロにしているのが本作でもあった。作品全体がストーリーの形を取りつつも的確に一般社会に転がるものどもを取り上げているので、ストーリーラインの面白さや怖さの上にそうした諧謔や人間社会のどうしようもなさも延々感じられる。
作品の中にある軸自体はものすごく実直にとことん丁寧に敷き詰められているので、そこを通して描かれる皮肉にひたすら刺される映画体験ができる。
あと何度か登場する銃撃戦にしろ暴力シーンにしろ、きっちりその怖さが表現できていて、そうよな、怖いものなんだよなとも一々感じていた。その恐怖もまた原因があって生まれるものなのだけれども。


冒頭で若い娘を連れた年老いた男性が自転車屋さんで娘の望む自転車を購入しようとするけれど、気に入る色の物がない。それで自転車屋かどこかに電話をしたかと思うと、娘の希望に沿った自転車がどこかで盗まれるシーンがある。自転車屋が絡んだ自転車盗難事件。それだけをすくい取ればそれだけでしかないことなのだが、それが正しく本作の冒頭として置かれてもいるように、主人公側の出来事の重要な位置にあるものといえるものにもなる。


本作では確率や因果というものが中心にある。
自転車の盗難にあった、だから母親に車に乗せてもらうことにした、父親からの電話でまだ帰ってこないことが判明して憂さ晴らしで親子で街で遊ぶことにした、その車が故障していたので徒歩で駅に向かって一緒に電車移動することになった、たまたま母親だけが座席を譲られた、そこで列車事故が起きてたまたま母親が座っていた座席の辺りの被害が甚大だったから母親だけが死んだ。
これらは一つ一つは別のトピックにもなりうるし、それぞれに他人の人生を巻き込みながら果てしない分岐点や因果を持つもので(と思いながら冒頭を観ていたら、数学者が物語後半でまさにそれを語りもしていたが)、それが現実問題としては一本の筋の通った関係で結ばれるものになる。そうして出来上がった一本の筋は「偶然」と呼べるものになるのか否か。そうして導き出された筋には恣意が含まれてはいないか。
例えば長い人生においてこの先、良いことと悪いことが発生する比率がどちらかに確定的に偏ることはなくどちらも発生する可能性があることが当たり前であり、彼らもそれは分かっているのに、結局自分の中で選り分けて視野を狭めて解釈していくのが実情なのである。


主人公は軍人として遠方に派遣されていた人物で、上記の親子の夫であり父である。妻が死んだ日にもまだ家に帰れないことを報告していたが、急転直下の自体を受けて急遽帰宅し、傷心状態にある年頃の娘と共に二人で過ごすことになるが、ぎこちない関係である。

娘のほうはこの出来事の原因を一人で辿っては付箋で整理してそれを訴えたりもするが、良く言っても無骨といった性格の父親は娘の意見をとかく尊重はせず、自分の意見を優先させる。カウンセラー自体、娘のものですら頭ごなしに拒絶するし、自分の支配下にない行動を取られるとすぐに攻撃的に出るし(自分が思っていた門限が破られたと意思疎通ができていないからすれ違ってたくだりとか、妻を亡くしたばかりで娘に危険があると困るとかいうことに繊細になってただけとも言えるが)、まあ、コミュニケーション不全気味でもあるろくでもなさそうな父親なのは本編ですぐに理解できる。
娘が事故のことを事故として受け入れない話を聞いても、彼は、現実を受け入れること、いつか愛するものが死ぬのは必然であること、いちいちそうやって理解しようとしたら疲弊してしまうことを滔々と説くところからも、彼の言う「現実」とは「真実」であるというよりも「妥協または諦念」であるらしいことが伺える。世間的にもそういう理解が一般的だろうなとも思うやり取りである。ただエンドの事柄にある結果だけを切り離して受け入れて余計なことは考えないで受け入れるというのは、確かに、この妻の死の場合なんかは特に、良くも悪くも他に発展することがない平穏さが約束されるものな。一般的に見て仕方のない事故だと断定できるものだった。ならそれでいいじゃないか。こうなったのも受け入れるしかないじゃないかというわけである。

が、そうは問屋が卸さないと、そうした「妥協または諦念」で物事を片付けて出来事を偶然と断ずることは許さぬ異分子が登場する。その列車に乗り合わせていた数学者である。彼が主人公に対してあの事故は事件だったのだと、相手の持つ諦念の気持ちに悪魔の囁きを齎したのだ。
(そもそもこの数学者は会社の大きなプロジェクトで年数と資金を受けて研究してきたことがビジネスからは理解されず、また根っからの研究者気質である彼のほうもそちらに歩み寄って物を考えられず、破滅的なプレゼンを演じた末にクビにされ、その足で列車に乗ることになったという経緯がある。このプレゼンの中でも話の中心にあるのは確率の問題と偶然の否定である。また、あくまでこの数学者が相手の立場に立って感情の面からは一切の考慮ができないないしは逃避する人間であることも分かるようになっている。)
最初こそ主人公も彼の話は聞き流していたが、数学者はプレゼンのときのように相手の立場に立つこともなく、なおかつ、むしろ数学的に捉えた事実の訴求に躍起になり、三人寄れば文殊の知恵とばかりに他に自分と似たようなスペシャリスト2名を加えて証拠集めをして事件の容疑者(=自分がたまたま列車内で見かけた怪しい人物が本当に問題があったこと)の詳細を炙り出してそれを主人公に示すと、主人公も遂にこの話に乗ってしまうのである。
この場面に至るまでに主人公の暴力性は示されてきたけれど、こうして「諦念」を一見それが問題提起に沿う正しい事実と思しきものによって捨て去られてしまってこの暴力性が解き放たれることが許されてしまうの、観ててめちゃヒヤヒヤするシーンだった。本編ではかなりサラリとしてるんだけれど、そういう簡単に飲みくだされてるのも含めて、観ていて怖かった。
あの数学者はそもそも自分の中に自分は正しいはずだという答えを持っていて、その解答に沿うように証明をしていただけなのだよな。何となく自分が怪しいと思った男がいて、それを監視カメラ映像だとかから抽出して、それを基にさらにこの国の中で一番それに似た人物の照合ができて、その人物について調べたらたまたまいかにも本件と関わりが深そうなデータが集められて、だからQEDとした。まず前提が誤りである可能性も、もしかしたら照合結果が一番似ている人ではない可能性も、そういう可能性の類は彼は一切考えず、端的にキャッチできたそれらしい答えに飛びついて、これをいたずらに事故の被害者遺族である主人公に喧伝するわけである(自分の専門分野である確率にこだわるあまり、自分がこうだと思う答えが多数派だと、多数派のほうでなければおかしいというような考え方を披瀝していたのも印象的である)。そして主人公のほうもそれがいかにも正しそうであることに釣られてしまったわけである。
なんというか、世間ではこういう思考の浅さみたいなのははびこりまくってるのはあるし、それに踊らせれて悪魔的に相手に吹き込むというのもままあることなので、皮肉だなあとしみじみ思った。その短絡的理解の果てに発揮されるのが主人公による非コミュニケーションを含んだ暴力性であるという図式もブラックユーモアが過ぎるぜって感じだ。端から考えることをやめて耳すら傾けないか、自分の振る舞いにレールを敷いてもらって大義名分を得て思う存分暴力を振るうか(そのへんを思うと、主人公が軍人であるというのもかなり怖いブラックさがある)。皮肉よなあ、ほんと皮肉よなあ。
(数学者たち三人組がそれぞれ、しゃべっていると相手に「それが今の話と何の関係がある?」と切り替えされるようなトーク展開するのとかもコミュケーション不全の印象を反復させる。この三人組も性格破綻者ではあるので、それにむしろ主人公が振り回されていたり、主人公サイドがとにかく静かな狂気に満ちているので、彼らが対峙する犯罪組織の凶悪さとある種どっこいどっこいの状態になっている可笑しみはあるがやはり怖いもんは怖い。)
後半でひたすら搾取されてきたらしい男娼をやっていた人物が主人公側に加わるのだけれども、自分を助けてくれたスペシャリストの一人に、自分ができることが身売りしかないのでアナルセックスを持ちかけるけどそれをやんわり優しく拒絶されて何もしないまま寝るように話を持っていったら、自分を助けてくれたばかりではなく性的にも搾取しなかったいい人間であるという理解の仕方を示したように、ここでもやはり恣意的な解釈・結論というものが描かれてもいるので徹底している。現状としてある自分の選択肢と、これまでの経験から自分ができるだろうこと、その原因と結果を後ろ向きに提示して、しかもそこで起こった物事を自分の中のフィルターを通していいように解釈する。本作、こういうことの繰り返しよな。
ちなみにコミュケーション不全とは上記で書いてはいるけれども、会話の中で自分たちの過去や何かしらの原因となっている暗い出来事について明かすシーンはあるので、全く頓珍漢な不全になっているわけではない。そういうのも原因と結果のくだりに繋がってくる働きもあるのだけれども、単純に人と人とが向き合うためのコミュケーションとして機能もしているところはあるのだろう。

で、主人公はそうやって炙り出された容疑者宅に行くも、相手も荒くれ者なので銃を出して彼を拒絶し、会話が生まれる隙もなく、直情型の主人公によって素早く首の骨を折られて殺害されるという。ここでも、一度距離を取って冷静になれたところを数学者の仲間に「あの態度は確定だ」とそそのかされたのが悪かったのか、引き返した上で相手を殺害することによる鎮圧を優先していて、かなりその異常性が露骨に出ている。口では殺したことを悔いるようなことを言ってもさっさと身を翻して去って行ったり、そもそもこの主人公が(軍人であることを差し引いても)普通にヤバいんだよな。作中で娘の彼氏が職業と危険に対する対応の関係なんかを語ったりするけれど(これも因果の話である)、それを言うならその職業を選んだ当人の性分というのがそもそも因果に繋がっている可能性もあれば、軍人になってそうなったという可能性もあったりで、結局はもっといろいろ考慮することもある可能性の分岐が見いだせるだけのような気はする。この彼氏の理論展開に対しては主人公は冷静で、暗に、おまえが言っているのは「軍人だからおまえは暴力的に物事を解決するんだ」ということを正当化させるためのものだろうというようなことを端的に言い返したりもするのだが。これがひっくり返せるのに数学者の言葉には乗っかるのも、相手を見ているところとかもあるんだろうけども(または見たいものしか見ないのか)。この娘の彼氏は登場人物のなかでもかなりまともな部類ではあるけど、常識的に好意的に物事を捉えようとするあまりに異常があってもそれを説明付けすることで何事もないように捉えてしまうところがあって、これも恣意的に可能性を選択しているということでもあるよな。彼氏は「結果が大事なのだ」と前後の文脈を切り離してそこだけ捉えて物事を見るわけである。
驚異的で威圧的だった容疑者が死んだ途端、銃を向けられて我先に逃げたスペシャリストの一人が文字通り死体蹴りをしたりするのも、淡白な主人公の周りで3人で保身のために(科学的な手法含み)大真面目に死体の扱いについて口論したりするのも、かなりヘビーさがあるけれど、表向きはその重さを受け流して撮っているのもそれはそれで怖い。本作、単純にいかにも滑稽にコメディーにはしないでブラックユーモアとして取り上げるのが巧みというか、全体がそういう調子で整えられている。こわい。

そして主人公は列車事故の中心人物であるというフィルターがかかった上で、ただ容疑者を殺すのみならず、その背後で関わっていたはずの渦中の犯罪組織に狙いを定めることになるのである。「妻の敵討ち」と称して。作中、最初からひたすら主人公がその死をあからさまに悲しむ描写もなく(ぐちゃぐちゃになった死体を無理を押して見たときも静かに哀倬を示していたくらいで)、本心としてどうなのかはひたすら外野の人間である視聴者には見えないつくりになっている。むしろ娘との折り合いの悪さや硬直感、軍人的な生活との隔離に対する鬱憤の発露として今回の行動をしているのではないか?というように捉えることもできるので、視聴者自身も主人公を観ながら彼の原因と結果などについて勝手な憶測をしてしまうようにもなっているのではないかとも感じながら観ていた。製作者陣もしや天才か???(と考えるお粗末な理論展開がここにも我が事として展開されて∞)
スペシャリスト3人も発端の数学者は主人公に協力して情報提供をするのを拒むけれども他の2人は自分たちは安全圏から憂さ晴らしができることに乗り気になったりもする。軽率な行動の歯車が止まらんし、これもまた善意と正義感の皮を被った無責任な振る舞いとして世間でよく見るやつである。いささか頭がイカれている(がたまにまともらしき発言もする)スペシャリストたちにしても幼少期のトラウマが暗に語られていたり、現在に至るまでの原因の可能性があるわけである。
こうした構造もまた因果というか、結局、自転車泥棒の気安さ然り、自分たちが突き止めた列車事故の原因然り、自分たちも同じようなところに手を染めてるようなものなのだよなあ。どこが発端と言えるのかという話でもあるし、言うなればこの作品で描かれる範囲に絞れば、人間の悪意や思考の浅さがそもそもの根本原因であるわなという感想の繰り返しにもなるのだけれども。

かくして、容疑者を殺したときに証拠隠滅を図ったスペシャリストがそのくせ目撃者の存在に気がついたままこれを放置したので(自分の過去の虐待のトラウマが過ぎったからか、SMプレイ的な様子に度肝が抜かれたのか。このときの目撃者はいろいろあって主人公側に生きて回収されて、搾取されて自分が稼いだ莫大な金も生活が送れないほどしか与えられない、かなり後ろ暗い性風俗に身を置いていた人間であることが語られるのだけども、彼もまた会話の中でいわゆる空気が読めない発言をして、自分の中で連想的に繋げた話(=まさにそれが本作でちょこちょこ出ている問題点でもあるので、言葉と人を変えて繰り返されるこの下りはそういう意味もあるのだろう)をして周囲を戸惑わせるくだりがある)、それで逆に主人公側の足が付いて荒っぽく襲われたりもするけれども、主人公が軍人らしく見事なクリアリングをすることで傍目には難なくこれに対処する。このときの銃撃戦でも描かれる暴力性と恐怖感が本作の肝なのだろうなと思った。
そして主人公たちはむしろ自分の身を守るために敵を排除しなければいけない、そもそもあの犯罪組織は大勢の人間を不幸にしてきたのだから誰であれ殺しても良いのだという理由付けも新たに加わってくる「結果」となるのがまた皮肉なのよな。襲われたわけでもないのに犯罪組織の関係者を無差別に殺害するようにもなって、そのときになって何のためにこんなことをしているのかという考えにやっと至りもする。狙っているのがそこのボスだから周囲の戦力から無差別に削っていくのは妥当といえば妥当なのだけれども。このときも結局主人公が独断でいきなり無差別に殺害して回ったわけで、大体いつも主人公が機械のように必要がない場面でも敵を殺して回るのだよな。こうなるとまた「原因」とはどこにあるのかみたいな話にもなる。彼の短絡さも数学者の接触なども、いわゆる宇宙から降って湧いてきたような原因として無理矢理に可能性の幹の中に入ってくるようなものとも言える気もする。
唯一好戦的だったスペシャリストの一人もいざ自分が人間に銃口を構える段になってそのリアリティーを前にして怖気付いたりと、ここも軽率さと意志薄弱さというか、原因と結果の因果関係の読み取れなさというものの現れである。
語彙力無いから皮肉皮肉と繰り返してしまって恥ずかしいくらいだけど、つまり物語構造がやはりしっかりしているとも言えるのだろうな。言いたいことがはっきりしている。

後半で数学者が主人公の娘がひたすら事故の原因を辿る試みをしていることに気が付き、彼は父親とは違ってその可能性を辿る行為に丁寧に理解を示した上で、しかし父親と同じように(遥かに丁寧な言葉で)、そうすることをしても結局どこにも原因として行き着くことはできない無駄な行為なのだ、「無数の原因を見つけてもきみは救われない」のだからと諭される。自分よりもずっと昔の人間の営為をひたすら辿るようなことにもなるためである。父親と数学者でこのことに対する否定へのアプローチの仕方の違いが面白かった。
あとちょこちょこマトモになる数学者ではあるけれど、核の部分はやはりしっかり明確に理解はしてるんだよな。スペシャリストたち、主人公にも厳しいことを言ったりもしてたりはしたけど、なぜ悪魔の役割も担ってしまうのかというと、まあ、賢人の類ではなくてあくまで何かに特化している研究者気質の一般人だからだろうけれども。
娘の「ただ怒りをぶつける相手がいれば──楽だから」という告白とか、ここのシーンが本作における、そして描かれてきた皮肉に対するアンサーであろう。
となると結局、主人公が最初に見せていた妥協と諦念が正しいことになるのだけど、無条件でそうでいるのではなくて考えた末にそれを受け入れる、理解するのが大事なんだろうな。
狭い視野の中でさらに自分で自分の首を絞める選択をすることを恐れねばならんのだなあ耳が痛いのだわ。


そして結局やはり上記で考えたように、そもそも数学者たちの容疑者断定が誤りてあったことが元男娼の証言によって判明してしまう。そんなとこだと思ったよである。
結局、数学者が怪しいと思った男は、最初に顔認証システムで探したときに一番似ていると機械が提示していたエジプトの男で(このときはそんな遠くの国の人間なわけが無い、デンマークに住む男が犯人だと決めつけて弾いていた)、しかも彼はただの旅行客でしかなかった。
すでに書いたことだけど、思い込みによって自分が持っている答えに近いものへと選択していくという愚かさよな。たまたま自分の答えに都合のいい人物が見つけられたから飛びついたけど、それほただの偶然だった。確率の高低に固執することへの弊害である。……って、このへんの読みとかもまんま読めてた通りというか観てたら感ずるなので、そこの発想の奇抜さが本作の面白みでなくて、やはりあくまで貫かれてるテーマのほうに面白さがあるのだなと、種明かしの最中も観ながらしみじみとした。

自分が執着し過ぎていただけのことでやはり事故だったのだと結論づけられて、ただ踊らされて鵜呑みにして殺人してきた主人公はたまったものではない。もはや頭ごなしの妥協と諦念を彼は選べなくなっている。だから次の「原因」を求めるしかない。犯罪組織のボスが悪いはずなのだろうと怒鳴るしかないのである(犯罪組織が無関係なのだとしたら、列車の整備などの関係者に怒りの矛先が行くのかと一瞬思ったが、そこは冷静なのか、いかないようだ)。
彼も何も無感動なわけではないらしいことが、この事態を受けて独りでバスルームで嘔吐して暴れまわり混乱を露わにすることから判明する。ほんとにただ悪魔の囁きに思考なしに狂わされていただけなのだなあ。ここにきてようやく彼は妻を亡くした悲しみを口にもして数学者に慰められながら涙に暮れる(数学者どの面の皮である)。色々思うことはあるけども、悲嘆の行く先を導かれてこじ開けられてやり切れないよな。カウンセラーにかかりたくなかったのも、自分と向き合えと言われるとキレたのも、内心は何も飲み込めてなかったからなんだなというところではっきり一つの答えが出もする。そしてそれも結局は無数の原因と結果の中の一つの正でしかないから、彼は、子供さえ生まれればすべてうまくいくと思っていたことも語る(ので、推測していたようにやはり娘との関係のギクシャクも今回の行動の原因の一つにはなっていたわけである)。
このあとに数学者がなぜ主人公のところに来たのかを落ち着いた中で聞いて、数学者も、警察が動かなかったからとか、自分が彼女に席を譲ったからなどと言ってから、自分が死ぬべきだったからだと本音を打ち明ける(この、○○が死ぬべきだったというのも本作、娘が父に対して言うところでも出てくる後悔の形態である)。彼は自分が抱えるやりきれなさを主人公にも伝染させたのだなあ。
ちなみに他2名のスペシャリストに関しては、友達が少ないから付いてきてくれたのだろうと語っている。このときの例えで、問題のある者同士で集まれば、太った者同士が集まれば自分の肥満が気にならなくなるのと同じだから、生きやすくなるからと例えてたのも面白かった(し、切なくもあり、仲間で集うってどのレベルにしろそういうところはあるよなとも思ったり)。つまり可能性の芽を潰して自分のための安全圏を確保するための行為とも言えるわけだよな。それがいいかわるいかはともかく。
二人の話は「責任」というものに収束し、それを父親である主人公に求めた数学者はもちろん返す刀でそれを突きつけられて、自分が馬鹿だったこと、責任を果たしていないこと、身勝手だったことを素直に認めていて、それはそう。冒頭からずっと思って観てましたである。
数学者はかつて娘を事故で亡くしたことのある父親で(そしてまたそれも彼の愚行の原因の一端でもあったわけで)、娘が生きていたらの可能性をどうしても考えてしまうし、娘の行動と自分が折り合わないことだってしたいのだと主人公に語り聞かせもする……のはいいんだけど、今回の件に関する彼の責任と話のすり替えが発生しているのでこいつとは思う。殺した相手が犯罪組織だったからそこらへん殺人に関しては誤魔化せてるところがあるけど、普通の一般人、それこそエジプト人さんが殺されることになってたらと思うと。
関係を築かないと何も始まらない、相手のことを知らないといけない、そのためにはかなりの時間がかかるのだ(そしてあなたにはその時間があるのだ)というのも本作を通して描かれてきたことのまとめの発言でもあるのだけれど、いかんせん頭に過るのはこいつという思いではある。おまえがいるから主人公は娘と向き合うことを考えるようになるのかもしれないが、そもそもその「時間」そのものを摘むことになる可能性もあるのだが?という。

主人公と数学者が話し合っている一方で、元男娼がウクライナの昔話として、熊に指輪ごと指ごと食いちぎられたお姫様が後に老いた熊を撃って腹を割いてもなにも出てこなかったという話を意味深にして場を戸惑わせもしていたけれど、そういうもんなんだよな。想定した期待(結果)が叶うわけではないし、因果関係がつながるのは絶対ではない。それを昔話という、よりそういう行為をしがちなもので語るの、製作者やはり天才か???

で、行く先の不安分子としては手出しをしてしまった犯罪組織が残るわけで、向こうは向こうで引き続き主人公たちに対して探りを入れているので、娘の彼氏が捕まってしまいもする。脅されて口を割ろうとしても暴力を振るわれて、彼こそひたすら被害者である。かわいそ。
直接家を襲撃されて銃撃戦が始まり、娘は人質にされていよいよのピンチになれば数学者たちも銃を手に相手を撃ち。
ボスがなぜ自分を狙うのかと聞いたら(答えられるはずもないし答えなんてないから)ただこれももはや殺すしかないという。

エンディングは王道的に、主人公は負傷で死にそうになりながらも娘に悔悟を吐露し、死んだかと思いきや、次にはみんな無事にクリスマスを迎えているシーンに転じるという(クリスマスセーターを着るマッツ)。いくらなんでもボス倒したとはいえ同じ家に住める安全はなくないかとは思うがそれはそれ。
プレゼントはそれぞれが用意したものをくじ引き的に無差別に選んで貰うというものらしいが(「俺はこれにしようかな」とか言ってるので)、描写のある範囲で言えば、みんな自分にピッタリのものを奇しくも選ぶ。暗にまた確率やら原因と結果の話を思い出す幕引きとなってもいるけれど、ウクライナの昔話を思い出すところでもある。つまりは昔話とは違ってここでは原因と結果が繋がっている。大団円にはなっているので言えば、このエンディングがこの物語の落着点として結果としてなっているのだなあ。
もちろん自転車のくだりも回収されて、主人公の家には、冒頭の親子と思しき二人が目の前に出されても買うのをやめた自転車(と同じ?)がここにはあり、例の親子のところには元は娘のもの(と同じ?)自転車がある。原因と結果だなあ。

そもそもの冒頭の親子だって自転車を欲しがったことは何も悪くないし、好きな色を欲しがったことも悪くはない。自分たちの行動が窃盗行為に繋がるとは思うはずもない。その誤った道を間に介在させてるのは(自転車を欲しがることもそうとはいえ)人の営みで、生活があるとかの背景をたぶん備えた上での悪意による横槍なのだよなあ。
何はともあれ、善人になれというわけではないけど、より良く生きる努力を各々が心がけるのが、できるだけ多くの人が幸せに生きていけることにつながるんだろうなあという使い古されたような考えになるばかり。基本はそこにあるんだろうな。でも綺麗事だけでは人の営みはうまくいかないから歯車が狂っていくんだけども。ままならない。


メモ
・ちなみに、作中で出てきた「アフリカの星」というボドゲは北欧ではめちゃくちゃ有名なボドゲのようである(https://en.m.wikipedia.org/wiki/Afrikan_t%C3%A4hti)。日本における人生ゲームの知名度や家庭の所有率の高さみたいなものか。
・犯罪組織を無差別に殺害した後の車中でスペシャリストの一人がぐずり出して流し始めたときの曲(https://www.lieder.net/lieder/get_text.html?TextId=1286428)、讃美歌みたいな雰囲気ではあるが、アンデルセンの詩に基づくものであるらしい。デンマークだなあ。
・エンディングはクリスマスソングの「The Little Drummer Boy」(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4)
・バスルームで暴れ回ってるときの曲は何なんだろう。スタッフロールに並んでたものから探そうかとも思ったけどあきらめ。
せいか

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