人は誰かと出会ったり、亡くしたり、新しい刺激を受けると何かと理由をつけたがる
それがいい意味だろうとも
悪い意味だろうとも理由をつけたがる
また、理由をつけなければいけない状況は圧倒的に後者が多く
つけざるを得ない状況のニュアンスに似ていて、一種の自己防衛的なモノだと思う
自分がそう思いたければそれが正義になる
都合のいい生き物だと思う
しかし、"偶然"に意味を探したり理由を見つける行為は自殺行為だと思う
"偶然"だという証明をしたところで、そんな行為はするべきではないし誰も報われない
そう思いたいと思うことで自分が救われる
その時点で間違っていることに気付かなければいけない
この人は根はいい人なのだよ
と言われる人はよくいるが
そう言われないといけない人でしかなく
やはり何かしら他者に害を与えるから言われる人なのである
根はいい人という理由をつけなければいけない人なのである
結局理由をつけただけでその人は変わりもしないし
周りの人も変わらない
当たり障りのない日常が延長されていくだけである
現に、それ以上を求めてない時点で
その程度の人間関係なのだから仕方ないかもしれない
それ以上を求めない人間関係に依存している人が最近多い気がする
やはり根本的に理由をつけて関わることで
自己暗示と自己防衛、自己愛が強くあるからだと思う
やはり人間は欲深くエゴなのである
底の空いた欲のバケツに欲を蛇口いっぱいに捻る日常
そしてその欲をある程度満たすために人間が必要とするのは"偶然"なのかもしれない
他とは違う"偶然"の結果新しい刺激に変わり理由を探す
【追記】