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JOINTのmasatのレビュー・感想・評価

JOINT(2020年製作の映画)
3.0
かつてKUROSAWAは、太平洋戦争の始まりの瞬間を、徹底した素人オーディションを行って、俳優ではない人を使って、映像化しようとし、ハリウッドから首になった(理由はそれだけではないが)。
この逸話は、のちの映画人の気持ちを常に鼓舞する。ミフネもナカダイも使わず、徹底したモノホンのリアリティを追求しようとした、戦争の何たるかを活写しようとした、完璧なる鉄人の意志と、ハリウッドへの(彼らがやった事のないかつてなかった映像世界創出への)意地を感じる。

その伝説は、常に、お金がない映画、自主映画の作家たちをいつの時代も鼓舞し、湧き上がる意欲を高めた。

そんな事を、本作を観て、久々に思い出す。

この、(誠に失礼ながら)出演者を誰も知らない映画において、全くアラが見えない。端役に至るまで、活きている。
そして主人公がちゃんと主役の立ち位置とオーラ(さらに目線、その瞳!)を、プロの映画のように発し、中心の重心を成し、全ての個性を引っ張っているのも驚く。

本格的、というべきなのか?
いや、それだけ“こんなもんだろうな”と、勝手な憶測と共に色眼鏡で観たからかもしれない。
それだけ、自主映画に期待していない、という表れだろう。

そんな俳優の活力にトップシーンから引き込まれながら、ホンがイイし、カメラも悪くない、編集も構成も、時折入るチャプターも効いており、これまた小憎たらしい“調和”を型創っていた。
その調和は、勿論、当たり前に言うと“演出”と言う事なのだろう。

強いて言えば、これでもまだカット数が多いが、昨今の凡百溢れる“カット数が多ければ威力を発する”と信じ、オサエ・オサエでカット数を増やし、すべて繋いでいくと言う愚行の愚才どもよりは、全然マシであるが。
(かつて、ズームもスローも手持ちも無かった50年代のアメリカン・ノワールを観て欲しいと切望する)

場数を踏めば、もっと“殺気”が滲み出る、と久々に期待が持てる映画作家だった。
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