ゴトウ

コーダ あいのうたのゴトウのレビュー・感想・評価

コーダ あいのうた(2021年製作の映画)
3.9
押し付けがましい感動ポルノになりそうでならない絶妙なバランス。結局歌が良いと満足しちゃったりするよね。ヤングケアラーの中のヤングケアラーみたいなルビーが家族の中で唯一「聴こえる」ことでかえって孤独を感じるところからの展開が、痛々しくなくて良かった。(『ワンダー 君は太陽』が自分にとっては受け入れ難かったのでつい警戒してしまう)シャッグスのレコード、単純にオタク喜びポイントというよりか「父親に無理やり組まされたバンド」で家族との関係に悩むルビーの行く先を暗示するアイテムなのかな?と思った。“Starman"の“Let the children〜”のくだりもより具体的な意味を持って泣かせてくる。

ややエキセントリック気味の先生に見出されて…とか、気になる男の子が合唱をやるというからつられて…とか、細かいところはなかなかベタ。それだけに「ルビーの兄を飲みには誘うけどバカにされてるところを助けたりはしない漁師仲間」とか「組合の仕事してる時に会話に入れない母ちゃん」とか、自分がやってしまったこともあるようなことの描写が生々しく映る。友達に「ピッチ・パーフェクトみたいなこと始めたら絶交」とか言われるシーンもあったように、歌の力や家族の絆があらゆる問題を解決するわけではないという冷たさも感じる。

ただでさえ悩み事が多いであろう17歳のルビーが、家族の通訳と漁師の仕事、歌の練習と学校の授業で疲弊していく様は痛々しい。あんな状況になってたら公的な支援が入るべきではと思ってしまうけどそんなことにもならず、ルビーは強靭な体力と優秀さだけでなんとか回している。家族はルビーなしではいられないし、それをわかっているルビーも家族なしでいられない。通常イメージされるような親離れ・子離れとは別次元で、ルビーをバークレーに送り出すことで新たなケアの必要性に迫られたり、漁を続けることが難しくなったりするのは避けられないというところがミソ。「家族のために卑屈になるな、可能性を閉じるな」と言ってくれる兄貴が人間できすぎ。「お父さん気にしないから」とか「お母さん応援してるから」とか、そんな言葉が必要なわけではなく、自分の中で一歩踏み出す踏ん切りがつけられるかどうかに主軸がある。丸太を挟んだキスシーンも象徴的。

恥ずかしいかどうかとかではなくケアの領域であるがゆえ、両親のセックスの話まで聞かなくてはならないルビーの負担は想像に余りある一方、自分が通訳しないと家族まとめて路頭に迷う可能性すらある(から遅刻している)ことをミスターVに説明しようともしないマッチョさは海の男の娘がゆえ?あんまりマッチョさを否定もしないところが「お行儀よい映画」にまとまってない感じがする。ケンカで強いところを見せて酒場の店員を抱く兄とか、とても口にできないような暴言を年頃の娘に通訳させる父(「カーハートは見世物じゃない」by C.O.S.A.)、レコードはくだらないと言い、歌のレッスンより家族の通訳を優先させる(この辺はルビーの歌のクオリティを知る由もないから仕方ないところもあるけど…)母など、「かわいそうだけど清らかな人」みたいな描写に止まらないのも好感が持てる。開幕インキンタムシだもんな。

一方で憧れの男の子枠の少年(『シング・ストリート』の主人公の子!)は頼りない。噂話を回しちゃうし、みんなの前だとルビーのことを一緒になって笑っちゃうし、しれっとバークレー落ちてるし、多分すぐ別れるだろ。ルビーが困難を乗り越えるのとは全く関係なく、支えでもなんでもないのも新鮮かもしれない。あと適当手話でルビーの兄を誘惑するエロに興味津々なルビーの友達。物語として聾唖者の家族にスポットが当たるだけで、自分も含む健聴者の日々の暮らしからすればこのくらいの距離感なのかもなという。障害を扱った映画に出てくる人物は、ものすごく嫌なことしてくる人とものすごく親身になってくれる人の両極になりがちなのでこのフラットさにリアリティがある。うえに、それがフリになってちゃんと手話を覚えてきたルビーが、ステージ上のルビーの歌声の素晴らしさを説明する場面が泣けてしまう。漁師や彼らの妻たちも最後の方は手話を覚えてたよね。自分には聞こえないけれど、涙すら流してルビーの歌声を讃える人々を見てその素晴らしさを納得してからの父親も泣かせる…冒頭は「ブンブンいう低音を感じられるからヒップホップが好き」でギャグっぽかったけれど、終盤のあれはこっちまで感動で震えてしまいます。

ミスターVにどこまで事情が伝わってたのか、どうやって許してもらった(わかってもらった)のかがちょっと薄かったのが気になる。が、それ以上に漁師たちと規制をめぐる問題が解決できるのか?というところはあんまり納得いかなかった。ルビーの歌で一攫千金で万事解決!みたいなことではなく、行政から一方的に規制・搾取される構造が個人の連帯を奪っているから、地域住民のコミュニティを作ることで日々の暮らしの連帯を拡大する(というかルビーの家族を包摂する)という展開は理屈通ってるなと思ったけど、いまいち支持されてなかったうえ、立ち上げたコミュニティの中で居場所が確立できていないようにも見えたルビーの家族がなぜ突然こんなにも受け入れられているんだ…と思えなくもない。ルビーの歌の成功とルビーの家族が連結していないがゆえに、謎の力で急に全てが丸く収まり始めたようにも見えた。ルビーのように優秀でもなく、少しも自分を肯定できないままただ家族として生まれただけでケアに忙殺されるヤングケアラーからすると、規模がリアル(?)なだけでシンデレラストーリーに変わりないのでは…という気もする。漁師たちが手話を覚えようとしてくれたのも良いシーンではあるけど、コミュニティを立ち上げて規制に抵抗したから=自分たちに貢献したから受容する、という構図に見えて着地が微妙にグロテスク。何かの才能や集団に貢献できるスキルがなくても包摂できないかなあ。というか、してもらえないかなあ。「歌の良さ」という力技で潰しきれない違和感があった…。どちらの立場にも立てるルビーが、口に出せない思いを手話で表現する場面、家族にも「聞こえる」ように手話を使いながら歌う場面が素晴らしいものだったのは間違いない。

あと映画本編と関係ないけどドルビーシネマからの音漏れがすごくて最悪でした。映画館としてどうなんだ。よりによってこんなに音が大事な映画でよ。
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