なべ

コーダ あいのうたのなべのレビュー・感想・評価

コーダ あいのうた(2021年製作の映画)
5.0
 なんて思慮深くきめ細やかな映画なんだろう。
 描かれていることがとても尊いのに、言葉でうまく説明できない。観てとしか言えない。伝わってくるのはコミュニケーションの何かだと思うんだけど、ここに美しさとか愛とか深長さなんてワードを入れるとたちまち陳腐化してしまう。それほどデリケートな主題が掲げられているのだ。
 この作品、仏映画の「エール!」のリメイクなんだけど、共通のDNAを持ちながら同じ話とは思えないくらい趣きが違う。仏版も悪くないんだけど、全体的にあっさりしてるというか、特別な感情が湧いてこなかったんだよね。だからすっかり忘れてて、途中まで「エール!」の翻案だと気が付かなかったくらい(どんだけ鈍いんだよ!)
 中盤の見せ場、ルビーとマイルズのデュオのシーンで、うわあ、そんな風に演出するのか⁉︎…スゲー!ってところがあるんだけど、ここで「あれ、この演出知ってるぞ。ああ、エール!か」とやっと思い出した次第。
 歌が聴こえない両親が、観客のリアクションを見て娘が伝えてるものの大きさに気づくのね。それまで自分たちの暮らしには、無関係で不必要だった歌が、そうでなくなる瞬間。
 国葬儀の賛否でザワつく周囲を見てもわかるように(ワクチンの是非なんかもそう)、自分の理解できない価値観を認めるのって難しいよね。ぼくは普段、“そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない”をモットーにしてて、対立する思想や信条にはとどちらにも与しないよう心がけてる。それでも偏狭な意見や、正しいけど傲慢な物言いを聞くと、穏やかではいられなくなる。だから自分にとっては無価値と思えるものが、誰かにとってはこの上なく大切なのだって気づきがこんな風に描かれてると、とても揺さぶられるし、豊かな気持ちになる。父親がルビーの喉や胸に手を当てて振動を聴くところなんてもう!
 ルビーの目線で観ると、両親のエゴっぷり(母親なんて毒親じゃんね!)に腹が立つが、両親側から見てみると、また違う景色が見えてくる。事あるごとに情に訴えかけてくる母親の不安や淋しさ、裏切られたような気持ちもわからなくはないのだ。ルビーにはルビーの、親には親のしあわせの理屈があるんだよね。どっちが正しいとはジャッジできない問題。どちらを選んでももう片方に犠牲を強いるってトレードオフな関係なのが辛い。
 幸いなことに、兄貴が「いくら肉親でも健常者が聾唖の運命共同体に加わる必要はない!」とキレ気味に突き放してくれて、かなり救われた。個人の夢の実現が罪ではないと身内が言ってくれて、辛さが随分和らいだよ。兄貴グッジョブ!

 冒頭、合唱部への入部シーンで、ルビーが歌うのが恥ずかしくて逃げしまうところで驚いた。これから歌の話をするのに歌うことの恥ずかしさから始めるのかと。カラオケ嫌いのぼくには、エールにはなかったこのセンシティブなシーンで、スタッフの本気がひしひしと伝わってきた。おそらく、エールとコーダでぼくの観る姿勢がまるで違ったのはこのシーンのせいだ。こういう感性って大好き。
 そんな思慮深いスタッフだから、障害者ファミリーの描き方もとてもニュートラル。愛は地球を救うみたいな、健常者が見下ろす“かわいそうな人々”(醜悪な感動ポルノ)じゃないよ。聾唖の苦悩をこれみよがしに描かなくとも(むしろ楽しく描いてるシーンが多い)、彼らの日常は充分伝わるし、音楽の素晴らしさを切々と歌いあげなくても(音楽が主題ではない)、音楽へのリスペクトがよくわかる誠実な表現。心地いいわあ。
 きっと珍しくもなんともない障害者あるあるなんだろうけど、彼らにとってありふれた風景を丁寧に切り取っていきいきと見せてくれるセンスが繊細で大胆。
 そんな調子で、歌うことと伝わること、知らないことを知ること、頼りにすることとされること、依存と犠牲、情熱と諦念、欲望と理性、そうした諸々の想いが、ぶつかり合い、すれ違うから胸が熱くなる。
 アメリカ人お得意の我を通すエゴい生き方ではなく、日本人のメンタルに合う、我慢して相手を思い遣る気持ちが溢れててグッとくる。めっきり錆び付いていた琴線に触れまくられて涙が止まらなかった。

 作風はまるで違うけど、プロミシングヤングウーマンのエメラルド・フェネルやチタンのジュリア・デュクルノー、レディバードのグレタ・ガーウィグらと並んで、シアン・ヘダーは注目すべき女性監督のひとりにカウントしたい。
 いちいち「女性」とカテゴライズするのもバカげた話だけど、この独特の手触りは男性監督が到達できない領域のように思えてならない。
なべ

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