るるびっち

コーダ あいのうたのるるびっちのレビュー・感想・評価

コーダ あいのうた(2021年製作の映画)
4.3
素晴らしいアイデア!!
聾啞家族中、唯一健常者の娘ルビー。
ルビーには歌手の夢と才能があるが、耳の聞こえない家族には理解されない。更に稼業には健常者のルビーが必要。
ルビーは自分の夢と、家族への愛の板挟みに苦しむ。

世間では障害者は、マイノリティに扱われる。
だが、家族の中では健常者のルビーの方がマイノリティなのだ!!
この逆転の発想がすごい。

幾ら障害者のことを考えても、健常者感覚では上から目線になりがち。
「哀れむ」ということ自体が、上から目線なのだ。
自分たちが多数派であると健常者が自認している限り、少数の障害者を哀れむか差別するかの目線しか現れない。
けれど本作は逆転家族で、少数派と多数派がひっくり返ってしまう。
健常者であることが家族の中では異端であり、逆に障害になる。
家族の中で少数派のルビーは、夢を叶える困難さを味わう。
これは世間で障害者が味わう困難さを変換しているのだ。
逆転表現、スゴ!!

一方、世間で障害者家族が生きる困難さも描いている。
聾唖家族だけでは安全性の審査に落ちて、仕事を干されてしまうのだ。
家族の中の生き辛さと、世間の生き辛さがダブルで主人公に降り掛かる容赦のなさ。

聾唖家族がルビーの歌の実力を実感できないように、社会の側も障害者の不便を想像できない。お互いに想像力不足なのである。
相手の立場で考えられない想像力の欠如が、不寛容さを生む。

最も自分を解ってくれないのは家族であり、そして最も助けてくれるのも、やはり家族である。
ルビー自身、歌の審査で手話を多用することでそのプレッシャーを乗り切る。
歌は耳を通じて、心に思いや感動を届けるものだ。
ルビーは歌いながら手話をすることで、耳の聞こえる者にも耳の聞こえない者にも思いを届けることができる。
むしろ彼女にしかできないことだ。この瞬間、聾唖者と健常者が同じ歌で感動する。
互いの不便を想像できない者同士が、ルビーの歌でつながる。
とことん考え抜かれたシナリオだなと感嘆した。
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