そうだといいなと思って観てたら、耳の聞こえない人の役は、やはり耳の聞こえない人がやっていた。「耳の聞こえない人の役があるのに、耳の聞こえない役者を起用しないというのは考えられなかった。」と監督はキャスティングの際に考えていたらしい。
わからなくても感じようと、歌っている娘の喉に手を当てて聴こうとするお父さんには特にひきつけられた。
音楽と同じくらい漁業の営みも描かれていて、そこが観れたのも良かった。
漁のシーンは、マリンコーディネーター指導で撮影されていたみたい。漁を再現して1.5メートルの波の中の撮影は相当なものだったんだろう。市場や港のシーンも、映像に映ることで必要以上にキレイになることから逃れていた。
ジョニ・ミッチェルの「both sides now」の詩がこの物語の姿勢のように感じた。