阿房門王仁太郎

シン・仮面ライダーの阿房門王仁太郎のネタバレレビュー・内容・結末

シン・仮面ライダー(2023年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

 最初はブレたり正面を避けて上や下に固定されたアップの連続に戸惑い、アクションの単調さ(格闘的な攻防が見られない)に少し幻滅しハズレたかな?と思った(結局の所この不満は最後まで多少は感じざるを得なかった)。然し中盤以降、この作品の大ボスとの対面の辺りで急に全体の軸が出て来て、浜辺美波が殺されるにあたってこの作品の意図や目途が掴めてきてそこからはあのライダーキックの見栄とそこに至る詳細を省くスピード感にも今までに無いタイプの興奮を味わった、結論としてはあのアクションは作品のテーマを鑑みるに正しかったと感じる。
 この映画のテーマは恐らく「かつて見た『仮面ライダー』を次世代につなぐ」と言うパーソナルなものであるだろう。そしてそのパーソナルなテーマを扱うに当たって庵野が用いたモチーフは「社会全体の幸福を第一に考えるショッカーに対する、生臭い、或いは血腥い歪な記憶を元にアイデンティティを維持し生きる(称号を継承する)ライダー」であろう(これは一見して逆説的だが)。言い換えれば、卑近な人間とのなし崩し的な関係の悲喜交々により自分の生を肯定する、その生の軌跡を決定する人間への讃美歌と言うある意味現実的な主張でもって50年と言う時を経て褪せて最早当時を知るオタクのオッサンオバサンの語り草となった嫌いさえある『仮面ライダー』をもう一度研磨して現代に光を放つ事がこの作品の企図した所であろうし、自分はそれに感銘を受けた。
 このテーマ、この庵野のフィルターを経たおかげで12人のショッカーライダーとの闘いは単なる退屈な見栄の切り合いではなくなった。あのトンネルでのライダーキックは「(浜辺との関りを次いで)俺として生きる仮面ライダー」の刻印として見ごたえが出てきたように思える(逆に、あのスピード感だけのアクションが終盤の泥臭い取っ組み合いの意義を示唆しているような気もする―それでも、蝙蝠男までのアクションやぶつ切りの話の突飛な退屈さは肯定し切れないけど)。
 この作品は『仮面ライダー』を知る者を前提とした内向きのファンムービーではないように思える。寧ろ、そのようなファンでない者に向けて「『仮面ライダー』は訳知り顔なファンの占有物ではなく、もっと普遍的で面白い物なんだ。今でも批判に耐えうる(実際、この映画の終盤のテーマは多分に原作の結論―ライダーも結局、ショッカーを必要とする支配と言う人間の本能に抗えない弱い人類に過ぎない、如何に反ショッカーを掲げようと万物を救える神にはなれっこない。お前は一生その苦悩を陰鬱に吹きすさぶ風に悩み続けるんだ―に対する反論でもあるだろう。曰くそんな思想に耽溺する前に直近の人との関りを大事にしようと言う)重厚な作品なんだ」という事を諭すような作品でさえあるように石ノ森章太郎版の漫画『仮面ライダー』『仮面ライダーBlack』しか知らない私は思った(まあ、古典ではなく50年前の特撮ドラマでそれをやってるある種の滑稽さはあると思う。裏返せばそれが文化の重みでもあるんだろうな)。
阿房門王仁太郎

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