なべ

シン・仮面ライダーのなべのレビュー・感想・評価

シン・仮面ライダー(2023年製作の映画)
3.5
 公開翌日に観てすぐにレビューを書き始めたんだけど、自分でも驚くほど悪口しか出てこなくて、しばらく寝かせておいたテキスト。その後、MBSで放送された「幕前〜第一幕 クモオーグ編」を連日浴びるように見倒し、また、ファンをざわつかせたNHKのドキュメント「シン・仮面ライダー」を経て、MX4Dで再鑑賞。やっと仕上げる気になった。思い入れが強い分、今回は長いです。

 60前後の男性なら、変身ポーズをとった写真の一枚や二枚は実家にあるよね。ぼくもそのひとり。テレマガはおこづかいで毎月購読してたし、少年ライダー隊の一員(ただの読者プレゼント)でもあった。ああ、本郷猛から声の出る年賀状も貰ったなあ。もちろん少年マガジンの連載は床屋さんで読破した。だから言わせてもらうよ。

 こんなの本郷猛じゃない!

 あの城北大学生科学研究所の切れ者でオートレーサーでもある正義の人を無職のコミュ障だと? やりやがったな庵野!
 別に主人公が大人な碇シンジでもイチローの目的が人類補完計画であっても構わない。それが庵野のライフワークだってんなら、甘んじて受け入れようじゃないか。けどこの本郷猛はないわ。なにプルプル震えてんだよ。おまえは子犬か! いや、この路線で行くなら行くでせめて主人公の名前は変えるべきだった。ぼくらはみんな知ってるんだよ、本郷猛がどんな男だか。演者が変わっても、ストーリーが変わっても、変えちゃならないものがあるとしたら、それは本郷猛の人となりだ。
 誘拐され、改造されて、恐ろしい運命を背負わされたことに愕然としながらも、それを詫びる緑川博士を逆に励ますような男だよ。シン・ウルトラマンでは役名を全とっかえしてたのに、なぜ仮面ライダーではそうしなかったかなあ。
 “仮面ライダー・本郷猛は改造人間である。彼を改造したショッカーは世界制覇を企む悪の秘密結社である。仮面ライダーは人類の自由と平和のためにショッカーと戦うのだ”
 TV版仮面ライダーのオープニングのナレーションだ。仮面ライダーの世界はここにすべてが集約されている。シンプルな話なのだ。だが令和の世に仮面ライダーを復活させるには、実働部隊が怪人であることの必要性や変身のメカニズム、ひいてはショッカーの存在理由等、納得できる説明がいる。その意味において、プラーナ理論は良しとしても、I、J、Kと連なるAIのストーリーラインはちょっとどうかと思う。「ある大富豪がつくったAI」とか、「絶対的不幸に陥った者の救済」だとか、アクション映画の背景にしては欲張り過ぎなのよ。この壮大さは、本来ショッカーの持つ“悪の秘密結社感”を著しく損ねてしまっている。ぼくはてっきり医療テクノロジーの最先端企業の社長あたりが新興宗教に走って…なんてのを予想してたんだけどな。
 AIはショッカー誕生の背景となる上位レイヤー。当然邪悪さはなく、仮面ライダーとは対立構図にないし、直接対決もない。このヘンテコなAIのせいで、ショッカー対ライダーという本来シンプルだった対立関係がなんだかあやふやになっちゃった。その果てが、エヴァ的なハビタット世界と、それをめぐる見解の相違。これってライダーひとりの身の丈に合ってない問題じゃね? かろうじて兄妹喧嘩ってところでなんとかバランスをとってるけど。
 ただ、無差別殺人で肉親を殺されたイチローと本郷の対比はいいなと思う。でも「人類に肉体は不要論」と「大きな力をやさしい気持ちで行使」は対比になってなくてめっちゃイライラする。
 ましてやAIの観測用ロボットのJやKは別作品からの登板で、こういうのはマジでやめてほしい。やりたいならシン・キカイダーか、シン・ロボット刑事でどうぞ。こういうオタクの「俺ってわかってるでしょ」的な足し算ってほんと醜悪。画面にKが出てくるたびにガッカリゲージがモリモリ上がっていった。みんなも奴が英単語を発音するごとにイラッときたでしょ。
 イラッとついでにもうひとつ。クモオーグのエピソードは痺れるほど大好きなんだけど、冒頭のカーチェイスシーンで、爆走トラックの側面に見える三栄土木の社名にイラっときた。わかる人にはわかる社名だが(興味ある人は各自調べて)、これってオタク特有のいらぬ知識のひけらかしだよね。作品をより深く理解するための知識じゃなくて、オタク同士がマウントをとるための雑学とでもいうのかな。シン・ウルトラマンのゾーフィもこれに近いけど、あれはまだ作品に生かされてたからね。
 こんなこと知っててもクソの役にも立ちゃしないのに、それがわかるって優越感と、そんなことまで知ってる自分への恥ずかしさに動揺しちゃうのね。
 知ってることが恥ずかしい知識ってあるじゃない。ほら、クラスに互いの知識でマウントを取り合う鉄オタとかいたでしょ。横で聞いてると、は?何自慢気に声を荒げてんの? 知らん知らん、そんな路線もそんな駅名もどうでもええわ!みたいな。昼下がりに教室の後ろの方で交わされる、いつもは大人しい鉄ちゃんたちの優越感を満たすための醜い口論。
 JもKも三栄土木も、作品を生かすための知識じゃなくて、オタクの知識自慢の雑味だ。腐敗臭と言ってもいい。まさか仮面ライダーでこんな気分にさせられるとは思ってなかったよ。
 第一話の完全再現や一文字の「お見せしよう」は全然いいのよ。あれはオリジナルへのリスペクトだから。クモオーグ戦がすごくよかっただけに、この雑味はかなり不快だった。
 雑味を噛み締めながら続くコウモリオーグのパタパタ飛翔CGには心底ガッカリした(米国では観客が大爆笑だったらしい)し、サソリオーグ戦では長澤まさみの雑な扱いに居心地が悪くなった。
 お、これはヤクザ映画っぽいノワールな日本刀対決が期待できそうと、やっとワクワクが高まってきたハチオーグ戦は、まさかのハニメーション演出。なんでそうなる!
 もう駄作確定しかけてたところに一文字隼人が登場。柄本佑がとてもいいのよ。彼が声を発した途端、空気がガラッと変わったもんね。プルプル震えてるだけの本郷と大違い。スラっとした体躯と善でも悪でもない飄々とした口調に興奮。そして満を持しての「お見せしよう」。からの「変身!」ときた。うわああああ!愛してるぜ一文字!

 NHKのドキュメント「シン・仮面ライダー」を観た方ならおわかりだろうが、庵野はアクションシーンに関して、予定調和な殺陣をことごとく封じていった。アクション監督を全否定するかのように。段取りを演じるな、ショッカーの皆さんにライダーを殺してやるという気概が足りないと。庵野はライダーの抑えられない暴力衝動を役者が表現することにこだわっていた。でもね、マスクで顔を覆われ、声も出さずに殺意を演じるのは難しいよ。現場で起こるアクシデントこそがアクションシーンのリアルであるって庵野の考え方が、完璧を目指す殺陣師の田渕景也にまるで通じてない。オタクのおもしろとプロの殺陣師のおもしろは全然違うのだ。
 そういう最悪な現場の空気の中、池松壮亮がいち早く庵野の意図に気づき、殺意や怒りの表現をアクションスタッフにじんわり伝えようとする姿には感心した。賢い。やさしい。そして座長としてのリーダーシップに溢れている。
 あいも変わらずハリネズミのジレンマを実践している庵野を他所に、フィルムの外側で彼がいかに本郷猛であるかを思い知った。ごめんよ、池松くん。子犬呼ばわりして。だってどのシーンもプルプル(以下略)。
 バックステージの裏ネタを見ないと作品を理解できないなんてのはモノづくりにおいてルール違反だと思うが、知ってしまったからには改めて見直したくなるのが人情。朝8:45(なにこの時間!)からのMX4D上映に挑んだ。
 なるほど見え方がまるで変わってくるな。初回は気合いもなくただぼーっと立ってるようにしか見えなかった池松ライダーの佇まいも、マスクとスーツの内側に殺意がみなぎらせているのが見てとれるぜ。相手に暴力を行使する人間はポーズなんてとらないんだよね。ただ立ってるのだ。威圧感を背負って。マスクで覆われてるのにそれがわかるってすごい(最初はわからなかったくせに)。
 しかし、現場を最悪な状況に追い込むまで庵野がこだわった殺意や暴力の描写が、このちゃちっこいCGなのか? ここを目指してたのか?と大きな疑問は残ったままだが、うん、最初に観たときほど悪くないかも。これもまた愛すべきシン・シリーズのひとつなのだと認識を改めた。
 書ききれなかった褒めポイントはあとでコメ欄に追記しとく。
なべ

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