ケイタカハシ

シン・仮面ライダーのケイタカハシのレビュー・感想・評価

シン・仮面ライダー(2023年製作の映画)
2.2
シンゴジラ、シンウルトラマンを楽しめたので本作を映画館で観れなくて残念に思っていた。アマプラで公開と聞いて早速視聴。
映画館で観なくて良かったと心底思った。

結構私は映画はテンポ重視で、テンポが良ければ大体スカッと観れる、と思っていたのだが、本作で覆された。テンポ良くつまらない!
いやつまらない、というのは退屈というニュアンスが含まれてしまって適切ではないな。退屈ではないんだよ。「寒い」、そして「イラッとする」。うん、これだ。テンポ良く寒くイラッとする。中だるみすることなくこの二つの要素のどちらかが一見期待できそうなヴェールを纏って現れるのである。その原因の大部分はセリフ回しと音楽の使い方、戦闘シーンのクソしょうもなさにある。
そしてショッカーが怖くも不気味にも見えないのは致命的だろう。見た目が変な人達が自分がどういう人か、何をしたいのか優しげな口調で語ってくれるのである。多様性の時代だからかな?見た目が変なだけで差別しちゃいけないよ、人それぞれしっかり考えがあってのことだよみたいなことでしょうか。
一方でメインキャラの女とか公安っぽい人達は設定の説明はしてくれるけど自分達が何を考えてるか全然教えてくれない。怪人のほうが実は人間味があって現代人は心がないとか(それも紋切り型な話作りだと思うけど)、そういうテーマなのかな、とか一瞬考えたりもしたのだが、その割にかつての仲間だったハチ女が死んだ後にメインキャラの女がライダーに「ちょっと胸貸して」と泣くシーンとかもあるので、多分制作者が何も考えてないだけでしょう。ウザいだけのハチ女が死んで何考えてるかわからん女が突然泣く。それを見て何を思えと言うのだろうか。その場のノリで撮っているとしか思えない。本当に庵野が監督、脚本をやっているのだろうか。庵野君が綿密に計算したストーリーテリングとカメラ割が、現場の陽キャにノリで変更させられてるとしか思えなくなってくる。「二次創作だ」という評価も見かけたが、昭和仮面ライダーの二次創作ではなく、なんかちょっとだけ映画の心得がある人達による「もしも庵野秀明が昭和の仮面ライダーを実写映画化したら(俺ら昭和の特撮とか見たことねーけど)」という二次創作に見えるんだよ。俺が庵野っぽさを感じたのは敵キャラの玉座のデザインだけだが。

予算と制作時間がなかった、で済ませてはいけないと思うよ。まともに撮れないならサソリ女もハチ女の話もカットでいいしな。もう書くのが面倒になってきて筆を置こうと思ってたのだがサソリ女は本当に酷い。なぜサソリ女は弾丸が効かない風だったのにスワット部隊が集中砲火したら死ぬのだろうか。そしてサソリ女と同スペックっぽいハチ女はサソリ女の毒付きの弾丸じゃないと死なない。これは一体どういうことなんだろうか。誰か説明してほしい。これは考察しがいのある謎だね。さすがエヴァを作った人の作品だけあるね。きっと夏コミにはサソリ女とハチ女の弾丸耐性の謎考察本で溢れるんだろうなあ。エヴァの人が作ったんだもんなあ。

<追記>
「青い蝶は神の使いと言われている」という言葉が劇中にあり、そうなの?何が出典?と思ってググったらスピリチュアル界隈の記事しかヒットしない。あのさ、蝶が作中重要な存在ならさ、どこの国の民話でも神話でもいいからよ、蝶にまつわる話なんか探してこいよ。出典がよりによってスピ系の記事?あまりに軽薄過ぎるだろ。神の使いって方向でいい出典がないなら代わりに故事の「胡蝶の夢」に絡めることに変更するとかさ。あるじゃん。やりようがどうにでも。このセリフ作った人はさ、スピ界隈のわけのわからねえブログ記事を一定の裏付けのあるメディアとして受容してるってことでしょ。そういうバカがこの映画作ったんだな。お前がバカなのはまあしょうがねえや、生まれつきってもんがあるからな。だがバカが幸福とは何か?と大上段で観客に問いかけるなよ。お前みたいなバカはテスラ缶買えば幸せになれるからいいけど、普通の人は色々と大変なんだよ。庵野印だからって騙されてこんな映画観させられたりよ。