イライライジャ

カルナンのイライライジャのネタバレレビュー・内容・結末

カルナン(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

鑑賞中は退屈だなと思っていたが、何日経っても何ヶ月経ってもこの映画のことを考えていた。考えれば考えるほどとんでもない傑作なんだと気付いた。
おそらく誰も気付いてないのだが、本作は『イングロリアス・バスターズ』のような歴史改変モノなのである。

冒頭、道路の真ん中で死んでいる女の子を誰一人とて気にかけず横を通り過ぎていく人々。理由はダリットだからだ。そして傷だらけの人々が次々クローズアップされ、松明や剣を持ち鼓舞する。その映像と音楽は他に観ないほど素晴らしく、思わず息を呑んだ。この時点で凄い映画だということが分かる。虐げられし者が立ち上がる話だということを。

1999年のマンジョライ暴動を基にしていて、実際はバス停ではなく農民の給料が極端に低いことへの賃金改定を抗議しており、何百人もが不当に逮捕され、何千人もの人々が警察署に釈放や改定を求めて行進したらしい。その無防備な市民を警察が暴力や投石(レンガ等)をして17人死亡。500人が負傷。

映画ではダヌシュがたった1人で大勢の警官に立ち向かい、首を切り落とすという衝撃の展開だが、タミル人にとっては警察に打ち勝つルートはこれ以上ないほどのカタルシスを得られるわけだ。

例え逮捕されても殺されても、村の名誉のために立ち上がる。
死んだ者もいるが村は少し豊かになる。声を上げて犠牲を伴いながら未来の同胞のために変えてゆくしかないのだ。
村に帰ってきて気を落とすダヌシュに向かってお婆さんが一言。
「踊ろう」
凄い。その一言に苦しみや悲しみや喜びが感じられる。感情を抑える悲哀のダンス。辛いことを全て忘れさせる魂のダンス。
ちょっと凄すぎて、このダンスは『母なる証明』に匹敵するレベル。美しい結末。

そもそもセルヴァラージ監督はダリットの悲劇ではなく、ダリット視点での日常を描きたかったそうで、本作が退屈だと思われる要因はダリットの日常が村での味気ない会話や生活だからだろう。

時折現れる仮面の少女だが、タミルの村では婚前に死んだ女性は神になると言われているそうだ。死んだ少女が多いほどその村は神に見守られている。何たる皮肉。
太陽をバックに逆光で人物が黒く見えるカットが多い。太陽があろうと影に生きる者ということか。俯瞰ショットは神の視線に感じた。
前作同様に様々な動物や生き物が映される。インドでは死んだら生まれ変わると信じているが、それが豚かもしれないし、虫かもしれないし、犬かもしれないし、神かもしれない。
つまりどんな生き物も自分たちかもしれない。

セルヴァラージ監督の作品はストーリーや音楽だけでなく撮り方へのこだわりやそこに込められた意味が全て活きている。鑑賞後には“意味”を反芻して感じたことのない感情が押し寄せてくる。