ヤマダタケシ

東京自転車節のヤマダタケシのネタバレレビュー・内容・結末

東京自転車節(2021年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

2021年5月 映画美学校試写室で

【青柳拓というキャラクター】
 今作、コロナ過の東京でUberの配達のみで暮らす青年のドキュメンタリーであり、奨学金の借金、コロナによる廃業などそこで描かれている現実は現在の日本では身近にあるものであると同時に、かなりギリギリな、ある意味シリアスなリアリティだったと思う。
 しかし、今作はどことなくのほほんとして無垢な雰囲気の青柳監督の自転車、視点からそれを切り取っているので、かろうじてそれを見ることができたように感じた。どことなく可愛さのある青柳監督だからこそ、その目の前で起こる現実のキツさ、家のない、最底辺の光景でもなんとか悲惨な現実というのだけではない視点で観ることができる。
 それは、ほぼ監督の視点とイコールであるカメラから撮られたもので、その後ろに青柳拓監督のパーソナリティーを常に感じることができたからだと思う。
 多分、他の人の視点からUberドライバーである青柳くんを撮った映像では、むしろそこにあるのは悲惨さだったと思う(ある種のノンフィクション的な)。ただ今作は、監督自身の視点でそれを撮ることによって、そのギリギリさに温もりを感じさせているように思った。

【青柳拓はキャラクターなのか?】
 と同時に、その青柳拓というキャラクター自体のクレバーさみたいなものも感じた。今作の魅力としては、無垢な青柳くんというキャラクターを通してだからこそ、むしろ浮かび上がってくる状況のギリギリさ、2020年東京の異常さだったと思う。そこに対して怒るわけでもなく、ただ「もうこうするしかないじゃん!」という追い詰められた状況で目の前の光景を語る青柳くんだからこそ浮かび上がるリアルな東京だったと思う。
 しかし、そこに対し少しメタ的な視点で観ると、ある種監督自身がこの無垢なキャラクター自体を演じている雰囲気があった。
 というか今作はよく構成された映画だったように思う。コロナの影響で仕事が無くなった地元から東京にやって来る青柳君は、東京の外の視点でありそう描く事によって、キャラクターとして無垢であり、同時に東京の人でも無い彼が、コロナ過の東京と言う異常な場所を外の視点から見、またそこに染まって行く過程が見える。
 また「これなんだろう?」という風に目にするものにカメラを向け、コロナ禍の東京での〝新しいモノ〟を体験していく青柳君の視点は、無垢でありながら同時にある種のカメラを向けることによる批評性を持っていて、アパホテルのアミニティを見るシーンなどにそれを特に感じた。
 Uberというアプリ自体がかなりゲーム性もある事によってただ配達をするという事も、ある種の企画っぽいというかミッションになる。その意味で今作は、この企画の時点でクレバーであり、ある種この状況を演じているのではという部分も感じつつ、そのギリギリの状況はカメラの前で演じられるものでありながら、実際のところ本当にギリギリなものであるというバランスだったと思う。
 本人自体は何か主張するわけでは無い(それは作中で語られるケン・ローチへの言及で感じた)青柳監督自身が、時給1000円にもならない賃金で配達をし、どんどん疲弊していく様は、彼自身が語らなくてもそこからその状況のクソさを感じさせるものであるし、止まる場所が無いから行く宝島やそこでの無料のカレーは、ある種意図的にコロナ過の東京を切り取ったと同時に宿無しUberのみで暮らしていく上でたどり着くものでもあったと思う。
 カメラが回っているから、映画だからという理由である種演じている部分と、実際にギリギリになっていくこと。そして演じることによって何とか保てている自分というのがあるように感じた(デリヘル呼ぶ件も、呼べない部分も含めてめちゃくちゃ演出してるのかなと思った反面、その後の、「ちゃんと来てくれた女の子に違約金が払われるようにしてください」という電話はUberドライバーだと気づく感覚でもあるなと思った。そこでの感情を描くための演出はあったとしても、そこで描かれるもの自体はものすごく実感としてリアルというような)。
 自分の置かれている状況を自己演出しながら撮った映画であると同時に、そこにカメラを置く意図がどうしても発生してしまう2020年の東京の意味の多さみたいなことを感じた。

・東京にいる人と配達を通して関わろうとするが、基本的に配達の中の人達とは関わるこ
とができない状況があるように感じた。同時に、それ以外のところで関わる友人達や公
園にいたおばあちゃんや新宿南口のホームレスが主人公に関わり、彼らのキャラクター
によってこの映画をコロナ過の東京という、ある種異常さが露呈してしまった巨大なシ
ステム対個人では無く、ちゃんとそこに人の温もりを感じさせていたと思う。
⇒またここで出てくる友人ふたり、ステイホーム中はまったく家から出なくなった友人と、リモートでトレーニングを教えるジムインストラクターは、Uberドライバー以外のコロナ禍の生活であり、この映画で出てくる東京をより立体的に描いていたと思う。
・エンディングに向けてのエピソードとして、マックス回数のクエストをこなすというのがあった。しかし、それ自体で何かにケリがついたわけでは無い。監督の奨学金の返済がどうにかなったわけでもない。ただ、そのケリが着かないエンディングになるのは今の現実と繋がっているからであって、最後2件の配達でギリギリになっていく監督の精神状態はある種演じていると同時にリアルで、その精神状態の延長線上の今を生きているのだなぁと思った。