CHEBUNBUN

発見の年のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

発見の年(2020年製作の映画)
4.0
【巨大化しすぎた敵に跪く】
山形国際ドキュメンタリー映画祭の作品は、日本公開されないものも少なくない。超長尺映画となると尚更だ。故に、ドキュメンタリー映画好きとしては積極的に挑戦していきたいものがある。さて、本祭の超長尺映画枠としてスペインから『発見の年』がやってきた。本作は新大陸発見から500年後の1992年、オリンピックや万博の華やかな雰囲気の裏で蹂躙される市民の怒りを2画面で200分綴った超大作となっている。日本も2021年、東京オリンピックが開かれ、テレビでは華やかなニュースが流れる裏で、市民の猛烈な抗議が行われた。他人事ではない内容なので観てみました。

『縮みゆく人間』という映画がある。これは核実験によるスコールと、街中で噴霧された殺虫剤を浴びた男が1日に1/8インチずつ縮む様子を描いたSFホラーである。最初は親身に妻に介抱されていくが、あまりに体格差が広がり、ついには人間から認知されなくなってしまう絶望が描かれている。『発見の年』を観ると、今こそリメイクすべきだと感じる。ペインだけでなく、世界的に広がっている搾取のメカニズムの表象に最適だと思わずにはいられないのだ。

オリンピック、万博のキラキラした未来を魅せる映像と重ねるように、重苦しい市民の活動が挿入される。バーが映し出され、疲れを癒すようにビールを呑み、過ぎ去る時間に身を投じる者のが画と、劣悪なスペインの労働を愚痴る者の画が同時に提示される。その同時に映し出される画の連続体はランダムであり、対話になっているが視線が交わっていなかったりと奇妙である。しかし、それは自分が無意識/意識的に作り出されたベクトルに支配されたTwitterのタイムラインが当たり前となった時代ならではのランダム性であり、2020年代ならではの表現だと感じる。丁度、ラドゥ・ジューデ『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ』第二部における無造作に並べられている画がSNS社会を象徴しているように。

この最先端の技法で綴られる、市民のぼやきはどれも強烈である。米国シフト方式が採用され、10連休は取れたりするものの不規則な労働でストレスが溜まり、タバコとアルコールに溺れ亡くなる。有給はもらえず、会社都合で無給の休みが与えられたりすることへの不満。さらにはホワイトカラーの人からの差別があったり、90年代のスペイン社会の問題が次々と明らかにされる。

だが、これは序の口であった。ヨーロッパは通貨統合が行われ、一つの大きな共同体になろうとした。当時のスペイン共産党は欧州内の労働条件の統一を目指した。外国人労働者の安い労働力によってスペイン人の働き口がなくなり、人々は苦しめられていたからだ。ホテル業界から農業に転職し、トマトを栽培するが、自分たちはモロッコからの安いトマトしか買えない。そんな不条理に不満が高まっていた。しかしながらヨーロッパ統合の動きによってもたらされたのは、強国によりインフラこそ与えられるが、その結果自国産業が潰されたことだった。

オリンピックにより、劣悪ながらまだ給料はもらえていた工場労働者も、次々と工場が潰れてしまいさらに追い込まれていく。若者は勉強しても低賃金長時間労働を強いられてしまう。

では労働組合はどうか?80~90年代にかけてデモは活発に行われた。しかし、敵がスペインを超えた存在となってしまい、あまりに巨大化しすぎてしまったせいか労働組合はあれども社会に影響を与えられなくなってしまった。

ある者はギリシャを例に、現代資本主義の問題点を提起する。14回にもゼネストが行われたにもかかわらず緊縮政策が施されてしまったと。

資本主義が国を超えた巨大なシステムとなってしまい、人々は蹂躙される。人々は声をあげようにも、相手が巨大すぎる故に暖簾に腕押しとなってしまい絶望が広がる。そんな現代社会の『縮みゆく人間』を本作は魅せてくれた。

正直、2画面による特性をあまり掘り下げられていない印象はあり、左画面に何も映さないまま10分ぐらい語らせる場面はもったいないと感じた。それこそ、労働者の画とプロパガンダを執拗に挿入すべきだとは思ったが、それでも200分飽きることなく楽しめた。
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