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チャドウィック・ボーズマン: あるひとりの表現者のnetfilmsのレビュー・感想・評価

3.5
 今年のアカデミー賞の模様をテレビで観ていたが、主演男優賞は間違いなくチャドウィック・ボーズマンだと信じて疑う余地もなかった。それは事前の予想云々以上に、授賞式の運びが完全に天国のチャドウィック・ボーズマンを祝うべき流れとなっていたからである。事実、アンソニー・ホプキンスもチャドウィック・ボーズマンが受賞するものだと思い、遠く離れたウェールズの地から状況を見守った。だが結果的に見ればアンソニー・ホプキンスが『ファーザー』の演技でオスカーを受賞した。先週『ファーザー』を劇場で観てきたが、確かにアンソニー・ホプキンスの『ファーザー』の演技は神懸っていた。健常者が考え得る認知症のイメージはこんなものだろうなと言った淡い予測で演技の設計を決めるのではなく、普通の日常の中に静かに違和感が混濁するその微妙なせめぎ合いを真に知的に演じていた。スクリーンを見守る我々観客はまるで1本の上質な舞台劇を観るように、彼の演技に没入した。誰にでもごく当たり前に訪れる「老い」という事実に向き合わざるを得ない父娘の葛藤に思わず胸が締め付けられた。物語を演じるアンソニー・ホプキンスとオリヴィア・コールマンの演技には1秒たりとも見逃してはならないような緊張感があった。

 当たり前のことだがアカデミー賞の主演男優賞は、チャドウィック・ボーズマンよりもアンソニー・ホプキンスの演技が優れていたなどと言った優劣ではない。『マ・レイニーのブラックボトム』におけるチャドウィック・ボーズマンの演技も、『ファーザー』におけるアンソニー・ホプキンスの演技も本来なら同じ壇上で議論されるべき内容ではないはずだ。国も違えば、人種も年齢も、演じて来た映画の世界もまるで違う。俳優としてたくさんの映画に出演していること以外に彼らに何の共通点もない。あるとすれば、2人とも誰よりも聡明でストイックで、脚本の行間に沢山のニュアンスを書き込むことに長け、同じ男性だったということだ。アカデミー賞というのは2021年現在の賞でありながら、その時代時代を俯瞰して読み取るための材料とも言える。1998年には『タイタニック』が受賞し、2004年は『ミリオンダラー・ベイビー』の年で、2009年は『ハート・ロッカー』がオスカーを射抜いた。2016年は残念ながら『ラ・ラ・ランド』が作品賞から漏れ、『ムーンライト』がその栄冠を掴んだ。そのくらいのざっくりした記憶しか残らないのが、海の向こうから我々が見るアカデミー賞の動向なのだ。

 極めて現代的で安全な指標は次世代のための記録でしかないのだから授賞出来なかったからと言って決して悲観すべきことではないけれど、43歳の若さで亡くなったチャドウィック・ボーズマンには、83歳のアンソニー・ホプキンスよりも映画に情熱を注ぐ時間が限られた時間しかなかったのは残酷な事実というより他ない。私が彼を知ったのは『42 〜世界を変えた男〜』のジャッキー・ロビンソン役で、その後『ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男』でJBを演じた後、『ブラックパンサー』でティ・チャラを演じるまではほんの数年の出来事だった。役者として第一線に上り詰めた時には既に彼の身体は病魔に侵され、残り僅かな生の瞬間を「映画」に注ぎ込むことしか出来なかった。死後に語られるドキュメンタリーがこんなにも悲しいのは、中心にいるはずの主役がもう既にこの世にいない事実に尽きる。映画は在りし日のチャドウィック・ボーズマンに関わった人々の証言を綴りながら、肝心要の主人公を現世に召喚することも出来ない。昨日のことを振り返る人々の視点はまだ生々しい饒舌な記憶に溢れるものの、チャドウィック・ボーズマンの姿はどこにもない。そのことがただただ悲しく胸を打つ。
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