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片袖の魚のMoviePANDAのレビュー・感想・評価

片袖の魚(2021年製作の映画)
4.0
「 ガラスの壁 🫧」

3月31日はトランスジェンダー可視化の日。それに伴い、演劇や映画がバリアフリーで楽しめるオンライン劇場「THEATRE for ALL」でこの作品が3日間だけ限定公開されるという事を知り、この度鑑賞させていただきました。

あらすじ。
トランスジェンダー女性の新谷ひかりは、時に周囲の人々との間に言いようのない壁を感じながらも、理解ある上司や友人に恵まれ会社員として働きながら東京で一人暮らしをしていました。そんなある日、出張で故郷の街へと出向くことが決まります。ふとよぎる過去の記憶。ひかりは、高校時代の同級生で密かに想いを寄せていた久田に今の自分の姿を見てほしいと考え、勇気をふり絞り連絡をとってみるのですが...

この作品に出てくるクマノミという魚。「ファインディング・ニモ」のモチーフにもなっているのでみなさんご存知の事と思います。実はこの魚には驚くべき生態があって、何と成長する過程で性転換をするんだそうです!普段クマノミはイソギンチャクの周りで数匹のグループで暮らしています。そのグループの中で1番大きく成長したクマノミだけが性転換をしてメスになり、そのグループの中で2番目に大きいオスとペアになって産卵をするんだそうです。つまり、グループの中にメスは基本的に1匹。では万が一、グループの中のメスが死んでしまった場合どうなるのか?何とそういった非常事態の際には、2番目に大きいオスが性転換をしてメスになるんだそうです。

仕事で観賞魚水槽の見積りに訪れたひかり。現場でそのクマノミの特性について話をすると「変な魚だね。」と言われてしまいます。そして、続けて放たれた一言。
「新谷さんって、もしかして男?」

🫧...

悪意は無い言葉。
しかし、そこに透けて見えるマイクロアグレッション。多様性の時代と言うけれど、自分を含む世の大多数が実際は理解を出来ていない現実。理解を深めるきっかけとなるだけでなく、今自分は自覚の無いところで人を傷つけなかったか?気遣いをもったつもりがその気遣いからチョイスした言葉に本当に偏見はなかったのか?等々... 本当に色々と考えさせられる作品でした。

この春から、うちの娘を預けている学童クラブに20歳の男性保育士さんが入られました。とても優しそうな方で、まず「へー!」と思い、その後にひとつ思った事がありました。土曜に預かってもらう時、先生ひとりに対しうちの娘がひとりって時があるんですよね。そのシチュエーションの日の事を考え、「大丈夫かな?」と。もう、この時点で偏見なのは分かります。ただ、親としてはどうも何か心配になってしまう気持ちがある。だから、何事においても何の引っ掛かりも無い理解というのは難しいのだと思います。ただ、まずは相手を知る事が大切。そして、自分の中の先入観や思い込み、誤った認識は自覚的に更新していかなければならない。自分の周りの事でそういった偏見はないかどうか。この作品を観て、そういった一考をしてみるという良いきっかけになったと思います。

それにしても、今の世の現実を突きつける狙いがあるとはいえ、終盤の居酒屋のシーンは地獄の様に感じました。バイオレンスな描写とかがあるわけじゃない。それなのに、時に凶器となる言葉のナイフにグサグサと刺され生きたまま殺されていく様な感覚。ここが本当に辛かった。そして、間違いなく狙いをもって一瞬映し出される“お造り”の抜きのショット。ここには本当の意味での残酷さというものを感じずにはいられませんでした。

現実としてそこにある壁。その壁を乗り越えた様に“颯爽”と歩く姿と、それまではどうしても倒れてしまっていたものが最後しっかりと自立する描写に、むしろ観ていたこちらが前へ向く力をもらえた気がしました。


「RED FISH」

強くなるため
閉じ込めた想い
透明な部屋
古い傷あと抱きしめて

強くなることは
ゆるすことかな
手に水槽のかけらが
刺さって痛むけど

祈るよう(に)見つめてた
あなたの背中だけ 今でも消えない

強くなることは
愛することかな
自分の居場所
古い傷も包み込みたい

スクリーンを
抜け出した燃える赤い魚は
夜の闇を振りほどき
ひかりへと高くはばたく
今泳ぎだす

まっすぐ「ずっと」

眩しい海
つらぬけ「ずっと」

Song by. You Ojima feat. Miyna Usui

最後に監督からの注釈
【劇中のセリフについて】
劇中に「身体は男性なんですけど、心は女性で女性として生活しています」というセリフが出てきます。この「心は[〇〇(性別)]」という表現はトランスパーソンの性同一性やGender Identity について誤解を生みやすく良くない表現だという認識です。しかし実社会において、興味本位でトランスパーソンの心身の状態を説明させようとするマイクロアグレッションに対して、当事者はその場をやり過ごすために相手に合わせた簡易的な説明を用いざるを得ないケースがある、ということを表現するため使用しています。     東海林毅
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