ヌテッラ

ベネデッタのヌテッラのレビュー・感想・評価

ベネデッタ(2021年製作の映画)
1.0
アップデート(2/12/23):映画が「原作」として引いていたJudith C. Brownの研究書Immodest Actsを読みました。ダメですこの映画本当にダメです。映画で身体的な吐き気を催すほど最悪だったシーンはやはりヴァーホーヴェンの創作でした。 


大学院で中世の女性の神秘家の研究を(副業で)してて、それもたった今、中世の女性の聖痕(stigmata)の表象について論文を書いてるので、本作の舞台は中世が終わったばかりの初期近代/ルネサンスだけど、どんなもんかと楽しみにして観て、途中までは「....完璧!!!!」と思ってたのが、ネタバレしたくないので具体的にどこかは伏せるけど、終盤に差し掛かったあたりのとあるシーンで限りなく0点まで落ちた、、、という複雑な映画体験だった。「現代以前の時代はとりあえず全部『暗黒時代』にしとくか」みたいな時代錯誤の似非中世・初期近代の表象が私の敵なので、この映画はすごい良い線行ってて、本当に途中までは100点中最低でも80点くらいはつく予定だったんだけど、どうしたもんか....はあ....

まず良かった点とすると、マグダラのマリア以来続く伝統とも言える「キリストの花嫁」となって幻視を見たり神秘体験をしたりする女性たちが、世俗の肉欲を棄却しても、捨てたはずのセクシュアリティーやエロティシズムが実はキリストとの(官能的な)関係の中に温存されていること(大体キリストは美しい人間の姿で現れて、幻視を送られてエクスタシーを体験したりする。女性たちが聖痕を受けて痛みを感じたりするときそれがよく出産の痛みに喩えられたりもする)とか、そして彼女たちの神秘体験を教会の権力が自分たちの都合で利用したり非難したりすることとかが、一次資料にそのまんまで大満足。

十字架上のキリストの身体の、男性でも女性でもないクィアな身体としての表象も百点満点。(キリストの身体は神性と人間性、すなわち男性性と女性性を併せ持った身体だとか、十字架上で痛み苦しんで人類の救済を「産み出す」キリストの身体は出産に苦しむ母なる身体だとか、色々研究がある。)

そして、中世〜初期近代の神秘主義文学をフェミニスト的な視点で読むときは、女性たちの神秘体験が果たして真実であったか否か、というのを争点にするのではなく、あるいは彼女たちの体験を病理化するのでもなくて、その体験が彼女たち自身にとってどんな意味を持ったのか、そして女性がそのような体験をしてそれを公の場で表現することがどのような社会的意義を持ち得たのか、みたいな点に着目するので、神秘体験の本質がなんだったのか、白黒はっきりさせた描き方をしてなかったのも良かった。

で、どこに問題があるかというと、不意打ちで巨大な心的ダメージ食らったので深くは突っ込みたくないんだけど、ひとえに「女性の痛みをスペクタクルとして消費してる」という点。一方で、まさにこの「苦しむ女性の身体」をポルノ的に消費する描写、というのもまた一次資料の聖女伝とか(第三者の男性が神秘家の女性について書いた)伝記とかにお決まりの、というか伝統的な表象なので、忠実と言っちゃ忠実なんだけど、それを2021年の映画で繰り返す必要はない。トラウマポルノは許さん。

消化するのに3 to 5 business days欲しい....ほんと疲れた....はあ....
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