でら

ドラゴンボール超 スーパーヒーローのでらのレビュー・感想・評価

5.0
公開前まで不安要素はあったにせよ、初日最速上映で観てきました!初見だけでは把握しきれないほどの情報量で、飲み込むまで時間差がありましたが、今では日をおかず映画館に通う毎日です。1、2回観た程度ではこの映画に込められたメッセージ性や答えは見えないと思うので是非予定回数の3倍は観てほしいです。
前作の超ブロに引き続き、私としては文句なしの一作になってました!!!ありがとう鳥山先生!ありがとう制作スタッフさん!!

まずは作画などについて、3DCGというものの事前知識無く観ましたが、キャラクターの作画のブレのなさを殆ど感じさせず、まるで線画かのようにも見えるわ凄まじく動くわで、戦闘シーンもかなり満足度が高いです。
上から攻撃を仕掛けるΓ2号とピッコロの距離感、アメリカンコミカルな文字の演出も目を楽しませてくれた。実はDr.ヘドのヒーローものの演出としての後ろに映像が現れてたっていう遊び心もとても可愛らしく目を楽しませてくれる。鳥山先生の漫画で描かれる表現をこうやるか〜!と感動した。

悟飯がRR軍に乗り込んできた、際の土砂降りの演出、そこからの1号が悟飯に向かっていよいよ戦闘が始まるって場面がBGMの緊張感と相まってエモーショナルを感じる。ゾクゾクする。
攻撃の打撃の重さや衝撃がどれほど強いものなのかを表す効果音と、地面が崩れる演出などもまた良い。後にこの時に空いた大穴が、セルマックスを落として足止めするのも、悟飯が利用してたのも地形理解の深い悟飯を感じてたまらなかった。
ピッコロがパンの幼稚園のお迎えを頼まれた時間が1時過ぎ、誘拐しに行く時の飛行機内では3時を回っていた(はず。時間が正確じゃないかも。ここはまた確かめたい。)
悟飯が覚醒してRR軍基地上のダミー映像と共に雲を晴らす時、まだ空は明るかったが、2号がパンに銃を向けてカーマインの行動が悪だと認知して戦闘が休戦した時、段々と空が暗くなり陽が落ちていることが分かる。映画の中で時間が経過してる事を自然な流れで見せていて、シンプルかつ無駄のなさ、鳥山先生の作風を感じた。
そう、この映画かなり情報量が多い。セルフオマージュがふんだんに成されているのに気づく人も多いのではと思うが、どのシーンが一体どのシーンのオマージュになっているのか、今一度原作コミックスを片手に比べるべきだと思わされるほど巧妙だった。早く円盤ください。

キャラクター作りについて、これはもう原作者の脚本だったので、信頼してよかった…と心から思いました。今までほとんどアニオリでしか登場してこなかった悟飯の娘のパンの姿が、鳥山先生の手で書き起こされ息を吹き込まれたのが何よりも嬉しかった。パンちゃんめちゃくちゃ可愛かった!子供の無邪気な仕草から、パンという子がどうやって悟飯とビーデルの元で育ってきているのか、パンを通して二人の日頃の接し方を感じさせてくるのが、本当にお見事だった。
そしてそんなパンが誘拐された姿を見るや否や、迎えに行くはずのピッコロがどうしたとか一切言わない。戦闘が必要になったら悟空やベジータに任せておけばいいと言っていたあの悟飯が、凄まじい程の怒りを露わにする場面。もう感無量でした。ここから安心安全信頼の映画になりました。
パンの気を感じて目視するやいなや一目散に飛行機から飛び出して向かう悟飯の姿。パンの危機を察知して躊躇なく覚醒し、1号を圧倒し一蹴してからの視線も超カッコいい。悟飯があまりにカッコよくて、最早大好きな悟飯のかっこいい姿を見るためだけに劇場に通っていると言ってもよいくらいです!黒髪バチバチも最高ーッ!悟飯の作画、隅々まで最高ですね!

魔貫光殺砲を見たことすらないはずの悟飯が付け焼き刃で放ったあの驚異的な威力。地獄にでも舞い降りたかのように鋭く禍々しい気の溜め。あの技がどういう経緯で編み出されているのか知ってるのか、とても気になる…
新形態に至るまでの演出はこれでもかというほどカタルシスを感じさせてくるので良かったです。初めて見た時は新形態のデザインについてはいまいち飲み込めなかったんですが、少年時代の超2を髣髴とさせる姿に意味があるとしか思えない見た目やカラー、あの嘲笑を呈した悟飯の心境についてもこれもまた吟味考察していきたいところです。なんだかんだ今となってはめちゃくちゃかっこいいので大好きです。

ありがとうございます。悟飯好きで良かったです。



実際に物語の中で起きた事、キャラの言動と判断を個人的な嗜好に忖度することなく偏見なく見定められる目が必要だなと強く感じました。

当然のようにDr.ヘドは無から人造人間作ってるか?と言う疑問が出てくるので、2号の特攻を見て反省の色を見せたかのようなヘドへの同情の気なんて、さらさら起きなかった。かつて、ヘドの祖父であるゲロに攫われて記憶を奪われ肉体改造された18号があの時ヘドに怒鳴っても当然なんだよ。だってヘドは遺体を盗んで人造人間を作るような、爆弾や毒で平気で人を殺せる精神を持ってるから。
ヘドは自分自身の皮膚を銃弾も爆撃にも耐えられるような特殊な改造を施している。宇宙一強い、独善的なヒーロー性を持った人造人間を作るために、非道徳的な人体実験ないし生きた人間を改造したマッドサイエンティストなんじゃないかって印象は拭えなかった。

鳥山先生はとんでもない悪と偽善を、善性と並べてサラっと描いてしまうから、Γ達に愛着を寄せているようなヘドの姿で事実から目を逸らさせるのが本当に上手いんだ。

Γ達は、あくまでもヘドの求めたヒーロープログラミングを遂行するために働いていて、もちろん生みの親であるヘドを疑うことも出来ず、筋書き通りに2号は自己犠牲を払い、1号はヘドを守っている。
自分達で自分の行動を選べないのが人造人間なんだなと、胸が痛む。
でら

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