このレビューはネタバレを含みます
子どもの頃に見ていたドラゴンボールのアニメと違い、映像美というか、ぬるぬる動く映像は進化を感じたし、必要かどうかはともかく、クリエイター凄いなって思った。
だけど、
「ドラゴンボールの主人公は、孫悟空じゃなかったのか?」
と思ってしまう私に、本作のような作品を心から楽しむことは難しい。
そもそも、スピンオフ作品全般が私の嗜好的に向いてない。
司馬遼太郎の『世に棲む日日』を読んで倒幕派になり、『燃えよ剣』を読んで佐幕派となり、『花神』を読めばまた倒幕派となるくらいに、兎にも角にも主人公信奉者である私にとって、主人公こそ正義なのである。
そして、ドラゴンボールの主人公は孫悟空であり、孫悟空の成長譚が私にとってのドラゴンボールなのだ。
別作品ならいざ知らず、鳥山明のドラゴンボールで悟空が脇役だったら、それはもうドラゴンボールじゃありますまい。
私は何も、悟飯やピッコロさんが嫌いなわけではない。
ピッコロさんは良い人だったし、微笑ましかったし、頑張ってほしいとすら思う。
ただ、ちょいと頑張りすぎやろがい。
私は主人公に対する役割期待がめちゃくちゃ大きく、脇役には脇役としての期待をしているので、主人公が救わない地球なんぞ、最早どうなっても構わんとすら思っている。
別に私が困るわけではないし。
だからこそ、脇役である悟飯とピッコロさんが、その他大勢と協力してセルを倒すっていう本作は、
「引き立て役がそのまま勝って、何してくれてるわけ?」
となるのである。
世が世なら、セルマックスを倒した瞬間に、私がスーパーサイヤ人になっていてもおかしくない。
「ゆ、ゆ、ゆるさんぞ…よくも…よくも脇役がセルマックスをォォォッッ!!」
とキレ散らかしたい。
キレ散らかした勢いで、
「役に立たない修行ばかりしくさりおって、この脳筋クソゴリラがァァァァァッッ!!」
と、悟空にも文句言いたい。
一体どうしちまったんだよ、俺の悟空は。
あと、所々差し込まれるギャグ要素は、ターゲットが子どもなら分かるけど、連載当時に少年少女だった子たちは皆一様に歳を重ねているわけで、序盤ならともかく、終盤のバトル中に挟まれると舞空術より浮くわけで、これ需要あるのかなぁっていう疑問はあった。
でも、現役の子ども世代もターゲットなんだろうなきっと。
もしこれがドキュメンタリーだったら、圧倒的ヒーローの悟空がいない状況でも、自分たちで頑張るピッコロさんや悟飯に胸熱になって、クリリンや悟天やトランクスが駆けつけた時とか、ガンマ1号2号との共闘に、
「お…おまえら…くぅぅ…」
って泣くんだろうな。
でも創作なら、責任持って主人公を目立たせてほしかった。