雷電五郎

アイ・アム・オールガールズの雷電五郎のレビュー・感想・評価

4.0
南アフリカで起きている児童人身売買の事件を実話を元に描いたサスペンスです。

ただ、この作品は映画としての痛快な娯楽性の一切を排除した極めてシビアで生々しく、正義のヒーローもいない、醜悪な犯罪が明日も変わらず存在し続けるという現実のままならなさを突きつけられる作品です。

アメリカにおいて年間の人身売買被害者は約50〜70万人、うち半数以上の被害者は児童であり、無事に発見されるケースは1%にも満たない、という絶望的な事実が最後に提示され、より一層怒りがこみあげてきました。

日本人には実感がないと仰るレビューも見かけましたが、日本でも児童に対する性的虐待は後を絶たず、告発されていない暗数をかんがみるに実際には明るみになっている数よりも多くの事件が存在していると思われます。
人身売買についても、東南アジアなどで少女を買う日本人の多さ考えるに無関係と断言できかねます。需要がなければ供給は生まれないのですから。

SNSではまるで当然のように未成年者を性的な眼差しで見ていることを口する人が大勢いて、恥ずかしげもなく己の発言を垂れ流していますし、未成年者が大人の恋人になる創作物も多く、萌えの名の下にペドフィリアを表現の自由と正当化する手合いすら存在する。

直近ではとある漫画家が児童ポルノ所持で逮捕された折、資料ならば仕方ないなどと擁護する連中すらいました。実在の児童が被害を受けているにも関わらずです。

日本人の当事者意識のなさ、無頓着さ、自分に見えないものは「ないもの」として扱う事勿れ主義が、犠牲になっている子供達をさんざん見殺しにしてきたといっても決して過言ではないと私は思います。

すべての少女達の決して癒えない怒りと憎しみと絶望、正義が機能しない現実でこの断罪を果たして誰が責められるというのか。このテーマを映画だからと娯楽にすれば、何一つ彼女達の怒りと憎しみは伝わらない。テーマに対して真摯に向き合った作品だと私自身には思えました。

この作品は復讐の物語ですらありません。積み上げられた被害者の連鎖を止めるために正義も法律も機能しないのであれば、自らの手で粛々と断罪するほかない。
最後にジョディが降り立った空港はイランです。彼女はヌトンビに代わり「彼女たち」を踏みにじり続けた人間に断罪を与える役割を継いだのです。

他者に搾取され続けてきた苦痛の中でヌトンビにとってジョディは自分を搾取せずに愛を与えてくれる大切な存在でした。性的にも肉体的にも精神的にも搾取されないという幸福と安寧が、当たり前ではない人々が世界中にもこの国にもすくいあげることが出来ない程の数、存在するのだと思うとただただ怒りだけがこみあげる、生々しい作品でした。

子供を食いものにする醜悪な犯罪者が一人でも多く厳罰に処されることを願って止みません。
雷電五郎

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