ぼさー

こちらあみ子のぼさーのレビュー・感想・評価

こちらあみ子(2022年製作の映画)
4.5
僕は物事を認識する時、出来るだけ正しく、あるいは他人や社会と同じように認識しようとしている。しかし時にはその認識をズラした方がいい場合がある。

困難に直面した時、イライラした時など冷静でいられなくなった時に、認知や認識を敢えてズラすことで気持ちを落ち着けられることを最近処世術として身につけた。

本作は認知や認識、価値観が社会通念からズレた主人公の視点で描かれる。他人への理解や共感にも関心が示されない視点。そういう認知・認識を持つことの強さが描かれる。他人に同調せず見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞く。孤立にも無頓着。そういう感性、環境に憧れたことはないだろうか?

僕は社会生活を送っているので、あみ子のような極端な生き方はできないが、時と場合に応じてあみ子のような「認識のズラし」をやっている。
本作は正しくあろうとすることで自ら苦境に立ってしまっている人に、救いの選択肢を与えていると思う。ロールモデルとしてのあみ子、という捉え方。

勤勉、真面目、正直であることを誇らしく感じている反面、自身の性格に息苦しさを感じているような人は、あみ子の視点を疑似体験して、疑似体験できたことを否定するのではなく肯定的に捉えて、あみ子のスタンスを部分的に取り入れてみるのがいいと思う。

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あみ子を取り巻く大人たちに注目すると、基本的に全ての大人たちはあみ子を無視する演出となっている。あみ子も大人たちを無視しているからお互い様ではある。しかし、現実の日本社会ではあみ子のような子どもと向き合う周囲の大人は多いと思う。あみ子を無視する大人たちという描き方は本作の演出である。

劇中では唯一、出産後の義母が墓参りまでの短い時間だけあみ子に向き合う。あみ子の話すことに耳を傾け、あみ子が差し出すものを受け取る。その演出はあみ子の誘導によって墓参りに義母が誘い出される上で必要だったからだろう。あみ子を無視したままの義母だと重要な墓参りを拒絶するだろうから。なので基本的にほぼ全ての大人はあみ子の発するものを無視する描写となっている。

そうやってあみ子の孤立が色濃く描かれる。同級生同士では向き合う生徒が現れるのが救いだが、いずれにしてもあみ子は認識がズレていて、しかも孤立を気にしていないように描かれる。
依存体質の対極にある立ち振る舞い。本作でそれらは強さとして描かれていると感じた。同情すべき孤立というより、見倣うべき孤立という描き方。

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一貫して悲壮感がなく、同情的でもなく、美しく愉快にあみ子の視線の先が描かれていて良作だった。
それによって病気や症状という固定観念のなかでの物語ではなく、もっとスケールの大きい誰にでも当てはめて自分事とし考えられる普遍的なテーマになっていると感じた。

繰り返しになるが可哀想とか可愛いとか厄介者とかの外部視点よりも、あみ子が見聞きしてる世界がどういうものかを一緒に覗きながらあみ子とシンクロしてみるのが鑑賞態度としておすすめである。

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森井勇佑監督のティーチイン付き上映を鑑賞。ティーチインとは来場者からの質問を受け付けながら進行する形式。

主題歌と音楽を担当されている青葉市子さんのエピソードなんかも聞けてよかった。青葉市子さんが作詞して歌う主題歌『もしもし』の歌詞は、あみ子の死んだ母があみ子に語りかけてるという設定の歌詞になっているとのこと。
帰宅して歌詞を改めて見て泣いてしまった。

全ての人が自分の人生を自分のものだと実感しながら生きていけますように。
ぼさー

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