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骰子城の秘密の河のレビュー・感想・評価

骰子城の秘密(1929年製作の映画)
4.0
サイコロを渡されるマネキンの手のショットに始まり、タイツを被った2人のマネキン達が骰子城に向かうことを決める。そこで、カメラはその旅程を主観的に映しそのまま城の中を散策する。しかし、城の中には誰もいないし、カメラと主観を共有していたはずの2人のマネキンもいない。

扉のようにスライドされていく絵画のショットによって場面が切り替わり、城の中で自由に遊ぶ別のマネキンたちが現れる。そのマネキンたちは遊び尽くした後、そのまま電池が切れたように倒れて転がり、一体化してそのまま城からフェードアウトによって消えていく。絵画のスライドを入り口として城の中を散策していたカメラには見えていなかったマネキンたちの遊ぶ世界が現れたような感覚がある。

再び場面が切り替わり、最初の2人のマネキンが現れる。2人が城でダンスする姿が映され、そのダンスする姿のままフィルムが反転する。そして城から出て行くようなショットが挟まれ、冒頭のサイコロを渡すショットが繰り返される。

マネキンという非現実的な存在、そしてフェードアウトとフィルムの反転によって骰子城のその裏の世界が存在するような感覚がある。人の気配のない城に存在するコミカルな動きの匿名的で幽霊的な気配。扉のようにスライドされていく絵画がその世界への入り口のようになっている。タイトルの秘密とはこのことなんだろうと思う。

そのマネキンのコミカルで匿名的な印象がモダニスト建築である骰子城(ヴィラノワイユ)、そしてそこにあるミロやピカソの彫刻、キュビズムの庭園などの持つ印象と一致して溶け合っているのが良い。

さらに、城へ向かうカメラの主観もコミカルで、忙しなく動きガタガタ揺れる。遂に城について入り口にある彫刻を眺める時の素直に喜んでいるようなそのカメラの主観がかわいくて良い。割とわくわくで城探検した後誰もいないことに気づくのがかわいそうすぎる。絵画のスライドを経てマネキン達を映すようになるカメラがこのカメラと同じであって欲しい。マネキンたちと合流できていて欲しい。

マルグリッド・デュラス『インディアソング』での無人の廃墟に残る過去の記憶としての非人間的、人形的な動きの幽霊、『セリーヌとジュリーは舟でゆく』などジャック・リヴェットの映画にある現実とは違うレイヤーにある世界など、その後のフランス映画における土地の記憶や幽霊、裏世界の原始的な形を感じた。あと『去年マリエンバートで』とか。

マネキンのダンスからのフィルムの反転、城から出ていく主観のショット、そして冒頭への円環というラストのシークエンスが非常に美しい。
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