ふじこ

ディア・エヴァン・ハンセンのふじこのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

あらすじを読んで、話の内容に興味があり。にがてな作品の一つにミュージカル物があるのだけれど…。
しかし冒頭からの美声と歌詞の内容に、高校生にしてはかなり老けているけど大きな不安を抱えて孤独に溺れる青年の役柄としては良いんじゃないかと思い直した。歌うまいなあ。

それはそれとして、唯一家族が知り合いな為に喋ってくれる男の子以外とは上手く話せない青年エヴァンが、セラピーの一環で自分宛てに書いた手紙を勘違いで奪われて、更に後日その両親が学校にやってきてあなた宛の手紙だ、親友だったのね と勘違いされていく過程が観ていて辛い。心がざわざわしてしまう。
自死した青年コナーも、妹は人気者だけれども本人は激昂しやすい変わり者で、生前はからかって居たくせに自死したとなるとロッカーの前で神妙な顔で自撮り写真を撮ったりする同級生には複雑な気持ちになる。複雑と言うか、嫌悪を含んだ感情だけど。

食事に招かれて、今度こそ本当の事を言おうと決心して向かうものの、思いを寄せるコナーの妹が良い思い出なんてなかった!と主張するのに対して、一番傷付いて憔悴しているように見える母親が思い出はある!あなたにも、とエヴァンに話を振り、思わず良い思い出があると嘘を吐いてしまう。
妹の、兄とエヴァンが一緒にいるところなんて1回しか見たことないし、スマホにもメッセージのやり取りなんかなかった という主張は正しいのだけれど、母親は見られないアカウントでやっているんだと盲信的になってしまっている。
これは…今現在のわたしでも否定するのに数年分の勇気を使い果たしそうな状況だわ…。

コナーは横暴で暴力的で薬に溺れる青年で、妹は脅されたり金をせびられたりした思い出ばかりで悲しい振りをするのは嫌で、義理の父(前夫の子っぽい)も裕福で何でも与えたのに壊すだけだった と思っていて悲しんでいる様子はない。

コナーの演説を受けて、沢山の人が反応して、知らなかった事やもっと話せば良かった、このスピーチで救われた人、そんな反応を見て遂に、父もいつしか息子の事を諦めていてしまった事に気付いたのか、家に帰って泣きながら妻に抱き締められるところで泣いてしまった。ここでやっと、本当にもういない事、もう取り返しが付かない事、何か出来る事が他にもあったのではないかという後悔なんかが押し寄せてきたのかなぁ。
その後の、義父がコナーと初めて出会った時のエピソードも泣いちゃう。覚悟を持って父になったのにね。
君のお父さんも君を誇りに思っているよ と言われるけれど、数カ月間も何を送っても全く返信のないメッセージのやり取りが凄く悲しい。

しかし、"嘘がバレるかも"みたいなソワソワ感がむっちゃにがてなので中盤以降胸がザワザワしてたわ。
もう既に取り返しのつかないところまで来てしまっているし、彼女の慰めになった上に、ずっと好きだった彼女に告白されて舞い上がり、友人や声を掛けてくれたアラナと一緒にやるはずだったコナープロジェクトと言う基金や救済の為の活動もそっちのけになってしまう。

そして彼女と帰宅するとサプライズでエヴァンの母親がコナーの家にいて、エヴァンは緊張でソワソワしている中、大学への学費が作文コンクールで勝ち上がらないと厳しいという話を彼女にしたが為にコナーの両親にも伝わり、コナーの為に用意していた学費を使ってくれないかと提案される。
しかしエヴァンの母は、施しは必要ないわ と断ってしまう。先に帰る母にエヴァンは僕は母さんのお荷物なんだと言うが、母は世界で一番大切な宝物よ、でも今は余裕がないの と答える。でもエヴァンは、他所は違う と答えてしまう。
嘘バレよりなんならこっちの方が辛かったかも知れない…。
親を恥ずかしく思うのって、思春期の一過性でギリだよな…エヴァンは高校生なんだからもっと気遣えるだろ。誰のために朝も夜も働いてるんだよ。母子を捨てて出て行った親父の代わりに働いてるのはお母さんだろ…。つらすぎる。

アラナが勝手にコナーの遺書と勘違いされてしまった発端のモノをネットに上げて寄付を募った結果、遺族の方に注目されて裕福なのに寄付ってなんか変じゃない?とか、今度は叩かれ出してしまう。
それに困惑するコナーの一家に、勇気を出して告白するシーンは観ていて一番辛かった。共感性という意味で…。
好きな女の子の側に居たいのは良い、7歳で失った父の影をコナーの父に求めるのは良い、でもお母さんは…!お母さんらしいお母さんがいなかった って言っちゃうのはどうなの…!もう一回言うけど、2人の生活の為にずうっと働いてるんだぜ…!
でもコナーの母親もめちゃくちゃショックを受けながらももう帰った方が良いわ、と声を震わせながら穏やかに返し、本当の真実は誰にも言わないと決めた と彼女から聞く。そうしたらエヴァンが自死してしまうかも、息子を2人失う事になる と。ちょっと…若干スピリチュアル方面でエキセントリックな感じがするけど、優しい人なんだよなぁ…。
そんな人の為に、って気持ちも分かるし、でもそんな人の事を、って気持ちもあるんだよね…。

そして骨折の発端になった、1人で木から落ちたシーン。本当はあの時に死のうと思って木から飛び降りたのだと映像で判明する。この映画色んな種類の悲しさがあるな…。
誰にも知られずに飛び降りて死のうとして、誰も友達がいないからギプスは綺麗なままで、誰にも言ってないから誰もそんな事を知らない。
冒頭で歌ってた、"独りで木から落ちた僕は 音を立てたんだろうか?"とスピーチの際の"落ちても 音も届かない"って歌詞と繋がるんだな。木から落ちた音を誰も知らない。死にたいと思って木から飛び降りた事を誰も知らない。音を立てるのは怖いからね、だから日陰に隠れるのよね。でも自問するのが切ない、本当に音を立てたんだろうか?今まで一度でも と。
最後のは、償いとしてはもうそれしか選択肢ないよねって感じで、一時でも嘘でもなく本当にコナー家族の慰めになったら良いなあと思った。

こんなに泣けるとは思ってなかったので、思わぬ拾い物をした気分。
わたしを一気に引き込んだ最初の曲"Waving Through A Window"の日本語訳も良かった。
病的に引っ込み思案だった若い頃の自分を思い出してただ涙してしまった。
うまく喋れない気持ちも、うまくこたえられない気持ちも、意味もなくシャツの裾を掴んでしまう気持ちも。
目立ちたくはないけれど、まるで居ないように振る舞われたり、自分がいなくても何一つ変わらないだろう世界が怖い気持ちも。
でも世界はそういうものだと思っているから、いっそ消えても良いんじゃないかって思ってしまう気持ちも。
それでも心のどこかでこの世界に何らかの期待をしてしまうような感覚も。
全部わかるよ、と思って泣いてしまった。共感と過去への憐憫の涙だと分かっていながら。
若い人にこそ観てほしい映画だったわ。
いつか全部、そういう事もあったなぁって時折思い出して、蹲っている過去の自分をヨシヨシ頑張ってるよって慰められるようになるよ。
ふじこ

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