YIDFF2021大賞。
明日の21:30からやるでよ。
ゲームでも無ければFPSでも無い、これが現実??先日イメフォフェスで観たタイのソヨラス・プラパパン監督の「独裁制に抗するイエローダック」内のイエローダック運動における痒みを伴う紫色の放水に込められた政府から国民への「毒」が本作でも警棒を振るう警官隊や学生の首根っこを掴む圧に滲み出ており、「気持ち」に対するは「気持ち」でしか対抗できないサガが遺憾無く画面に活写されている。そして映画としての体裁なんてどうでも良くてとにかく今此処で目の前で起こっている出来事を記録し伝えることが何より大事だと言わんばかりの切迫感が画面全体を支配し、絵力としては招待作「武漢、わたしはここにいる」同様、世界に目を向けたときに最も関心を寄せるべき重要作であり「連帯→抵抗→疲弊→分裂」というある種争い事の太古から変わらない普遍的醜さ+愚かさに人間の動物的起源を垣間見、力が入らない。
終盤疲弊するデモ隊と警官隊の間に入り込む大人のエゴがより一層出口を迷わせる。一瞬の希望により大義名分から目的が「イエニカエリタイ…」になるのは訓練を受けていない学生無いしは人間の防衛本能か。
トークメモ inゴズリング新居
シンプルな構成で戦々恐々の画面になっている。編集は集団としてどのような方針か。それぞれのフッテージをシェア。それでストーリーを完全な形で構成していった、撮影のときはストラクチャーは無かった。