まぬままおま

理大囲城のまぬままおまのレビュー・感想・評価

理大囲城(2020年製作の映画)
4.3
山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)2021で、オンラインでの視聴が可能だったので鑑賞。
大阪のシネ・ヌーヴォや京都の出町座、名古屋のシネマスコーレで開催された2021年香港インディペンデント映画祭が開催されていた時から気になっていた作品で鑑賞できてよかった。しかもYIDFF2021では、ロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)を受賞している。大賞にふさわしい素晴らしい作品であった。

撮影された事件は、2019年の香港民主化デモで、デモ隊が香港理工大学を占拠し、警察が包囲したものである。そして籠城する警察とされた学生の間では11日間にわたる攻防が繰り広げられた。この事件では、1000人以上の学生が暴動罪で逮捕された。しかし、マスメディアでは大きく報道されず、実態がどうだったのか不明なままであった。

そんな事件を学生の立場に依拠する報道陣が、包囲されたキャンパス内から緊迫した映像と共に記録したのが、本作である。監督が香港ドキュメンタリー映画工作者であるのも逮捕を懸念してのことである。

本作で確かにカメラに収められているものは、戦闘である。

荒廃したキャンパス。顔を隠し武装する学生たち。いつ警察が突入してくるか分からない緊迫感。家に帰れるか分からない不安。そしてデモの成功についての希望と焦燥。デモをやる学生と言えば、一貫した信念がある強い主体が想起されるが、実際は上記の複雑な気持ちを抱える私たちと何ら変わらない市民なのである。

そして警察はゴム弾とは言えど、銃口を学生に向ける。剥き出しの暴力。剥き出しの暴力が、日本の近隣諸国で行使された事実に目を疑う。
さらにデモ隊と警察を区分するのは、国家から承認された暴力であるか否かであることにも気づかされる。

また本作では、高校生のデモ参加者を家に帰らすために、校長らがキャンパスに入ってくる出来事が起こる。
校長らは、高校生の未来のため、高校生が身元を警察に登録する代わりに逮捕せず家に帰すことを警察と約束したという。それは、デモ隊からしてみれば、デモ参加者を減らす分断作戦である。しかし高校生にとってみれば、逮捕されず家に帰れる絶好のチャンスである。デモ隊の掲げる理念と家族や自分の身のための間で葛藤する高校生。その葛藤の模様をカメラが見事に収めているのである。

同時に考えなければならないのは、校長らに代表される「大人」についてである。あるレビューでは、校長らを公平な観察者として捉え、最悪の事態を回避したとして、肯定的に評価をしていた。しかしその最悪の事態とは、何だろうか。

もちろん高校生が逮捕され、殺されることを最悪の事態と捉えることができよう。だがデモが起こってしまったことそれ自体が、最悪の事態ではないのだろうか。そう考えるならば、学生や若者が身体を賭して、暴力を行使せざるを得なかったデモが起こる前に、大人は何をしていたのだろうか。大人にも生活がある。それは分かる。若者と共にデモをした大人も知っている。だけど、公平や中立を偽装した大人ーとりわけ校長といった社会的地位が高い人ーの現状維持が、最悪の事態を起こしてしまったと言えるはずである。
高校生らも国家に鎖で繋がれた。だから校長らを肯定的に評価することは、私にはできないのである。

かく言う私も香港で起こった出来事を日本という隔てた場所で、公平に観察する大人になってしまっている。香港の若者、デモ参加者は、香港の未来を本気で心配し、よりよくしようとアクションを起こしている。では日本では?私は?

なんだか国のあり方や大文字の政治といったスケールの大きいことに無関心になって、〈私〉の手の届く日常の幸福に目を向けている気がする。そこに〈私〉の生活があるのだから分かる。けれど私たちの日常も常にスケールの大きい物事に左右され、影響され、可能性を拡張も縮小もされると思うのである。ならば日常の幸福も眼差し志向しながら、政治といったスケールの大きいことにもアクションを取るべきだと思う。そして私はそうしたい。

本作を鑑賞し、レビューを書いて、誰かに私の想いを届けること。それを私のアクションのはじめとしたい。