ニューランド

オーストリアからオーストラリアへ ふたりの自転車大冒険のニューランドのレビュー・感想・評価

4.3
☑️『オーストリアからオーストラリアへ ふたりの自転車大冒険』及び『もう一つのドリームチーム』▶️▶️
EU圏特集には、いろいろなタイプの映画が揃ってて、頭を柔軟にしてくれる面がある。これらは、スポーツ競技や屋外トライアルに関する、ドキュメンタリー。
『オーストリアから~』。思い付いた墺~豪の1万数千キロ、一年かけての、陸地は全て自転車走破計画(仕事も辞め) の2人組の自撮り作。現代版『イージー·ライダー』は、麻薬と国内分断の空気がブスブスと燻り·はねかえってた本家に比べ、国外から訪れ·抜けていく者が、在住者と相互に新風や新しい出会いを見つけ合い、映画スクリーンを越えたずっと奥·裏面まで限りなく交感し合う、直裁性と可能性、なまの柔らかい息吹があくまで心地いい。中~終盤の(後撮りかの)ドローン撮影のウエイト大、本当にラストの大平原を踏破の気力·体力残ってたのか·不自然、追加撮影がかなりあるとしても、自転車疾走完徹+撮影処理、の大変さが、かえって作品に熱くなりすぎない力と巾を与えている。一方がもう一方を撮る、広角の主観主体でぐんぐん進む、固定退きカットは後でカメラ回収に戻る?、退きの移動回り込み客観カットらは第三者に撮影を部分委託してネット等で送らせる?、宴会·舞踏は色んな人に撮らせグラグラ·ぐちゃぐちゃ、グリーンに映る赤外線で夜間テント内も、スローゆったりトーンの一変味とコマ落としチョコマカシーン、らが作為·再構成意図も含め、挫折·気分切り替えの自然体対処の無理なさと、妙に柔らかくヴィヴィドにリンクして、単なる冒険譚傍観の観る側にも、カメラ操作の当事者気分も持たせて、現実の旅に帯同させてゆく。大体、「決心」「人生分岐点」の決意からして、第三者にはピンと来ないスタートだが、それが中身·撮り方·柔軟対処を共に経験していく内に、生の空気への呼吸感、人や自然や生活様式へのフィット感とその変質、だけが変な目的を越えて、息づいてくる。
大量の水分帯同、膝の炎症、蚊やハエの除けぬ多さ、自転車の暑さや寝てるテントをも壊す風雨(土石流も)、護衛か監視か怖い警官隊、政変で通れない国、密集して危ない通りと戸がなく何でも入りくる寝室、ビザと国毎の通過期限との闘い、いくつもの「限界」や不条理が襲う(ビン·ラディン退治で、実際は傍迷惑·破壊魔なだけの米軍の痕跡も)。一方で(見かけと違う)各国の人の心·迎えかたの暖かさ、いろいろ変更や挫折感も考え抜きと1日過ぎて気持ち切り替え。
オーストラリア~ロシア~ウクライナ~タジクかカザフ~イタリア~中国~ネパール~パキスタン~インド~シンガポール~タイ~オーストラリアらだっけ、計19ヶ国、国際感覚·地理感覚が洗い直される。
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『もう一つの~』。バスケットの試合の経過·その細部を緻密に組立た、薄っぺらさを越えた再組み立てドキュメンタリーを勝手に想像してたので、1990年を挟む二つのオリンピックのバスケットのあるチームの4人だっけ、顔ぶれは同じなのに、違う国の代表となった経緯、ひとつは本来を名乗れない·内部の組織も強い圧迫押し付け、ひとつは「独立と自由の夢」を実現·誇り訴える謳歌、を中心に描きながらも、古くからのニューズリールや資料·現在時点での4人を中心とした証言や関連写真の3D化を使って、リトアニア現代史叙述の側面も大きいので、ちと肩透かし。素材の画質も押並べて安っぽい絵のトーンで、緻密なものは諦めたが、固い作品にはない、フランクな解放感·背負ってる過去と歴史、が飾りなくそのままの姿で伝わってくる良さ·個性はある。
大戦前の国民的スポーツのバスケットの強豪ぶり、ソ連に占領されて以来の粛清かシベリア行き·国外脱出か困窮生活の·民族存続に関わる国と民の危機、ソ連代表チームのメンバー大半を閉めてのオリンピック常勝のアメリカへの土つけ、激動のゴルバチョフ政権下の独立運動への力での鎮圧と国際世論を味方に付けての粘り強い交渉、その前後からの嘗て思いもよらなかったNBAドラフト指名と米·西欧との行き来新世界、’92バルセロナ五輪で自国名参加も予算不足を米国音楽グループ等世界が助力、そして本選で米ドリームチームやCISとの対戦へ、その後の4人を中心とした歩み、と冷静なNHK放送ドキュにはない息遣いが拡がる。
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