今回、企画上映されている《カール・テオドア・ドライヤー・セレクション Vol.2 》の中で、唯一、前回のVol.1 でも観たものを、鑑賞。
前回観た時、衝撃だったのは、聖女ジャンヌ・ダルクの悲劇の物語は誰しも知っているはずなのに、ドライヤーのこの作品を観て、まるで現代の裁判を見ているような、身に迫るリアルさに圧倒された。
しかし今回再見して、もう少し落ち着いて、いろんな方向からこの作品を考えられるようになった気がする。
このジャンヌの生涯を目の当たりにして、たびたび使われる言葉に「信仰心」というものがある。
たしかに、その強固な信仰心によって、彼女は自分の信念を貫く決心をし、そこに行き着いた安心感からか、終盤恍惚の表情を見せる。
しかしながら、彼女を裁くイングランド側審問者たちとて、彼らには彼らなりの信仰心というものによって、ジャンヌへの刑を決定したのである。
つまり、一つの「信仰心」というものが、ある人にとっての救いにもなるし、また別の人にとってなにかを奪われるものにもなる。
もしかしたら敬虔な宗教者ならば、審問者側のことを「彼らのは信仰ではない」と言うかもしれない。
では、ドライヤーの映し方から、どちら側を声高に断罪するような目を感じるか?
答えはもちろん、否である。
あくまで、この作品で、ジャンヌの裁判の行く末、そして火炙りの刑に処されるまでを淡々と映し出す。
まるで、神のような存在が静かにそれらを眺めるように… 。
そして、人間の普遍的な業を描き切るのである。
ジャンヌ役ルネ・ファルコナッティの神懸かり的な演技と、一秒たりとも目の離せない映像の凄みに、何度観ても呆然となるのだった。