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ボヘミアン・ラプソディ ライブ・エイド完全版のTnTのネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

 「なぜライブ・エイドが公開時完全版でなかったんだ!」と今更思う。そしてまた完全版が今の今まで存在せず、日曜ロードショーで世界初という不意な公開に驚き、何があったん。ともかく、最高なパフォーマンスに泣いた。あぁ、ここまで再現してくれるなんて、やはりフレディは愛されてるな、と。

 勿論、こういった伝記映画にありがちな失態はいくつかある。それはエピソードの寄せ集めになることだ。そりゃ誰かの人生を2時間に収めるわけだから、エピソードの何を選び何を捨てるかが肝心だろう。今作品は、少し欲張ってしまった感じがある。バンドの移動用の車を売って、アルバム制作費にしたところとか、いらないんじゃ?そして、詰めすぎて、個々のエピソードはいきなり要所から入る。要所が矢継ぎ早で繋がれるのに、感情がついていくのに精一杯だった。今作品内で、「ボヘミアン・ラプソディー」が尺が長くてシングルにするには難しいとプロデューサーに言われるのを、まんま今作品は体現するかのように、要所で繋ぎ、肝心なライブ・エイドも二曲カットした、その功罪はでかいぞ製作陣よ。

 あとは同性愛描写。この前見た「裸のランチ」もそうだったが、どうしても映画の興行を考えると男女間の恋愛に落とし込まないといけないのだろうか。どこか異性愛の方が重きが置かれているし、フレディが抱えたであろう孤独感も疎外感もあまり映画からは感じなかった。フレディがタフすぎて苦悩を感じさせないということもあるけども。

 今作品、そんなわけで映画としてもっとちゃんとしろ!と思うところもあるが、やはりライブ・エイドが凄くって。はっきり言って、最初のエピソード群もその唐突さから御都合主義に見えなくもない。ただ、そんな不満も全てライブ・エイドが拭い去る。ライブ・エイドで歌われた「Bohemian Rhapsody」「Hammer To Fall」「Crazy Little Thing Called Love」「We Will Rock You」「We Are The Champions」の各々の歌詞が、それぞれのエピソードと結びついてくる。全ては壮大な前フリだったかのようで、不満気味で見てた各エピソードが、歌によって昇華されるとき、そこにはいないフレディがいるかのように感じた。完璧なライブ・エイドの再現映像だけを見たら逆に泣くほどではなかっただろう。つまり、今作品はその前半もライブ・エイドも、どちらかが欠けたら成り立たない構成だったのだ。

 にしても、非常にハイレベすぎる再現されたライブ・エイドのフル映像の圧巻さ。あの垂直飛びと片手をピンと伸ばす癖も、仕草も、本当にフレディ。歌うことを演じる難しさを感じさせない伸びやかさもあって、凄かった。また、ギターを渡す、カメラマンが動く、そうしたスタッフ側の細部や、小道具までそのまんまである。今の経済力と技術を持ってすれば、今までの歴史的なライブの数々が再現可能であることを打ち出してくれた。希望がもてます。ただ、演出は最低です。なんですかあのカットの短さと雑な観客席のインサートは。そこは別にライブ映像ぽさを出さなくてもいいのに。トーキングヘッズのコンサート映画「ストップ・メイキング・センス」は、最後まで観客を見せず、我々観客とスクリーン内のステージを分けることで、本場のライブに近い一体感を生み出していたではないか。しかも、途中で、Queenを逃したプロデューサーもご丁寧に映し出される、しかも盛り上がったライブの音量を小さくしてまで際立たせて見せている。ライブの音源が途切れるほど盛り上がりを邪魔するものはない。いらないインサートと音量を下げる行為しないでほしかった。

 その他面白かった箇所。ロジャーが何度も「ガリレオ」と歌わされるところ。メンバー4人でコーラスを吹き込むかわいさ。「I Want Break Free」のMVの撮影風景のピント奥でのメンバーのわちゃわちゃ感。あと総じてジョン・ディーコンがいじられキャラだったこと笑(ビートルズにおけるリンゴ・スター的な笑)。気づいたらぬるっとメンバーに加入しているあたり、ディーキーすぎる。あと、関係ないけど、最近古着屋で買ったシャツとほとんど同じシャツをジョン・ディーコンも着ていて、同族意識が芽生えた笑。

 あと、「Another One Bites The Dust」作曲シーンのベース音、テレビだと全然聴き取れない(ディーコン再び悲劇笑)。音楽映画なので、劇場で聴いた時の方が感動したのは事実。冒頭のブライアン・メイのギターの幕開けも、劇場の方が迫力あった。

 エピソード群からの、ライブ・エイド、そしてエンドロールでの本人映像。この映像を含めて初めて今作品は完成するのだ。どこまでも再現し、また付随するエピソードにより盛り上がった感情が、そこで歌う本人映像に全乗せさせられる。私たちは、この動くフレディに近づくための壮大な想いによる試みを見て、やっとこさこのエンドロールの映像に辿りつけるのだ。あの壮大な本編をもってして初めてこの本人を再現できていたのだ。そしてその全てを全乗せできるフレディのパワフルな魅力と動き。そして生き生きすればするほど、死という事実に打ちのめされる。彼自身はもう死んでいるのだ。そこには再現不可能で不可逆的で、しかし確実にあの時代を生きた伝説が”いた”ことが証明されるのだった。
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