dm10forever

SHIBUYA TOKYO 16:30のdm10foreverのレビュー・感想・評価

SHIBUYA TOKYO 16:30(2020年製作の映画)
3.5
【釦(ボタン)】

先日観た「SHE SAID」にも通ずるような「女性に静かに忍び寄る暴力」をテーマにした短編。

――映画監督を志す主人公・蒼は、プロデューサー・鳥海に長編映画の脚本を持ち込む。
彼女は自身の経験や家族との関係性などを投影させることで、自分自身から生まれる生々しくリアルな映画を撮りたいと思っていた。
そして持ち込んだ脚本をみたプロデューサーの鳥海は「いいと思うよ」と薄いながらも好反応を示す。
「ほんとですか?ありがとうございます。」
しかし、そこから打ち合わせは蒼の思惑とはちょっとずつ違う方向へと動き出してしまう・・・。

やっぱり、こういうのってなくならないんだろうな・・・・って重い気持ちになってしまう。
暴力的に組み伏せられるとかではなく、本人に「選択させる」というやり口。
(例えば自分の隣の席に呼ぶときも「こっちに来なさい」ではなく「こっちに来る?」とか・・)

そうやって「同意」という形を作っていく。

理想論で言えば、こういう「立場の上下」がある場でどうしても異性と会わなければいけない時でも、可能な限り1対1では会わない方がいいって言うのもあるけど、やっぱり仕事の場面でいちいちそんなこと言ってられないことの方が多いし、もっと言えば「機密」「秘匿」「相手を出し抜く椅子取りゲーム」なんかの要素を孕むときは、逆に他の人間を入れたくない(入れない)っていう選択を取ることだってありえるよね・・・。

本来ならね。
立場的には「男性側」が配慮すべきことなのよ。
二人きりになるにしても、聴かれたくないような話をするのなら知り合いが来ていないような喫茶店で会うとか、会社内の会議室だとしてもガラス張りの見通しのいい部屋を使うとか、それも必ず昼間に会うようにするとか。自分は奥に座って女性はドア側に座らせてあげるとか。
所詮「そんなつもりはないからね」っていうアピール程度にしか過ぎないかもしれないけど、それでも決して「やり過ぎ」とはならないのが今の現状。
それは女性が安心できる状況(環境)を用意してあげるという点でもそうだし、男性側が自分自身を守るという意味でも。

昨今、世の中には数え切れないほどの「ハラスメント」が産声を上げた。
良い悪いは別として、昔から何となく使われてきた言葉や言い回しが、ある日突然「NGワード」に置き換わっている。
意識が向上したのはいいことである反面、どこかギスギスしてやりにくさを感じているのも事実。

でもどちらにせよ、こっちにセクハラの意図がないのであれば、女性が嫌な気にならないように配慮してあげるのは苦ではないし、そこに「!」って感じる時点で潜在的に女性を下に見ているっていうことなのかもしれないね・・・。

そして、やっぱり「立場」を悪用する男は一定数いるっていうのは否定できない。
一番恐ろしいのは、それを「Win Win」と勝手に思い込んでいること。
(お互いに「得る」のだから悪いことではない)
「相手が嫌がっているかもしれない・・・・」ということはそいつらには関係ない。
結果として(対価)さえ与えれば問題ないという考え方だから。

仮に未遂で終わったからといって、心に受けた傷は癒えないと思う。
時間を作ってくれたのも、話を聞いてくれたのも、作品を評価してくれたのも、全部「あれ」が目的だったから?

そう思わせた時点で、その人は「被害者」なんですよね・・・。

何気ない一言ですら、時として相手の心にトゲを残すことだってありうる。
気をつけなきゃ・・です。
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