パングロス

朝の波紋のパングロスのレビュー・感想・評価

朝の波紋(1952年製作の映画)
4.1
◎戦後7年 アメリカンなルックの丸の内OL物語

「叩けよ、さらば開かれん」
「懇々知己(コンコンチキ)」

東大卒で治安維持法で転向を強要された元プロレリアート作家、高見順が1952年に出版した『朝の波紋』を慶應出の五所平之助が同年に監督した社会派ラブコメディ。




【以下ネタバレ注意⚠️】






冒頭、丸の内の東京ビルヂングが引きで映し出され、その一室がクローズアップ。
(同ビルは建て替えられ「東京ビルディング」として現存する三菱財閥のビルで、当時は日航、博報堂、チッソ、日本証券、三菱地所などが本社を置いていたという。)
貿易会社三光商事のオフィスである。

受話器をとって流暢な英語で商談する社長秘書の瀧本篤子(高峰秀子)。

高峰秀子は1951年のヒット作『カルメン故郷に帰る』に主演後、プライベートで半年間フランスに留学。帰国して初の出演が本作であった。
ということで、27歳の若きデコちゃんの英語はフリなどではなく欧州仕込みのホンモノである。

閑話休題。

篤子が、電話でバイヤーのブラッドフォードから3万ドルの飾り物の輸出話を持ちかけられて請け合ったと、営業部長の久富(斎藤達雄)に報告すると、扱ったことのない分野だから断る方が無難だと諭される。

同僚の梶五郎(岡田英次)が、篤子のデスクに近づいて、
「部長は、英語も出来て優秀な君に嫉妬してるんだ。僕は、この話、進めるべきだと思う。ねぇ、僕も一緒にやらせてくれないか?」
上司に否定されたショックが大きかったのか、まだショゲている篤子。

日本人離れした彫りの深い顔だちで「和製ジャン・マレー」と呼ばれた岡田英次は当時31歳、前年1951年の今井正監督『また逢う日まで』で久我美子の相手役を演じ一躍脚光を浴びていたハンサムガイ。
ところが、本作の岡田は、ヒロイン高峰をめぐる単なる当て馬だ。
結論を言ってしまうと、振られ役を演じている。
丸の内の商社員らしく一応カッコはつけているものの、その言動は浅薄で、ある種のアメリカかぶれに過ぎない。

さて、篤子=高峰が、寄宿している伯母の家に帰ると、同居している親類の少年健一が野良犬にペケと名前をつけて戯れている。
健一は父親を戦争で失い、母親(三宅邦子)は箱根の旅館で仲居として働いている。
両親と暮らせない自分の境遇を野良犬ペケに重ねて見ているのだ。

健一は、さっきまで友だちのイノさんと遊んでいて、犬を拾ったのだと言う。
篤子が
「あら、同級生なの?」と問うと、
「違うよ、大人だよ」とのこと。

玄関先に文庫本が落ちていることに気づいた篤子、健一にイノさんの住所を訊いて、返しに行く。

行ってみると明治村にでも建っていそうな豪壮な洋館。
しかし、早く没落したのか、戦時中に被災したのか、石造りの本邸はあちらこちらが崩れて廃墟同様、庭は一面のブッシュと荒れ果てている。
(よくぞ、こんなロケ地を見つけたものだ。)
藪をかき分けて、篤子はようやく玄関にたどり着く。
表札は「伊能田」、イノダ略してのイノさん呼びらしい。

「叩けよ、さらば開かれん」
と書かれた木札が、銅鑼のそばに下がっていたので、叩いてみると、浦辺粂子の婆やが勝手口から顔を出す。
この婆や、耳が遠いのか、要件や名前を告げても一向に要領を得ない。
そうだ、と篤子が健一の姓「賀川」を告げると、ようやく得心いったという体で、婆や、これも文化財に指定されていそうな離れの茶室に案内する。

茶室を覗くと、男が独り薄茶をたて、作法通り客としての自分に差し出す。
出された自分が一服すると亭主役の自分に礼を言う。
(ここはコントなので笑うところ)

この男が廃墟の洋館の主、伊能田二平太(池部良)であった。
篤子が勤める三光商事のライバル、商社としては格上の富士商事に勤務。
篤子と違い、英語が苦手で、こないだも会社で失敗したばかりだと愚痴る。

伊能田の妹眞佐子(沢村契恵子)は美術学生だが、どじょう屋でバイトして学資を稼いでいる。

他日、伊能田は三光商事に現れ、篤子に礼をしたいと、メニューインのコンサートのチケットがあるので一緒に行きませんかと誘う。
(アメリカ在住の世界的ヴァイオリニスト、ユーディ・メニューインは1951年に初来日。日比谷公会堂での演奏は感動的で大きく報じられた。伊能田が手に入れたのは、そのプレミアチケットであろう。)
篤子に気のある梶は、いぶかしそうに伊能田の様子を伺っている。
ちょうど、そのとき社長のいる出先まで来てくれという電話が入り、篤子は急に箱根まで出張することになり、メニューインのチケットはふいになってしまった。

伊能田は、別段、不良社員というわけでもなく、結核の長患いで悩んでいる同僚(沼田曜一)のために、当時の日本では貴重だったストレプトマイシンを輸入できるか、知り合いのアメリカ人に打診したりしている。

伊能田は、親子ほど年下の健一と友だちづきあいするし、要は、損得づくとは真反対の感性の持ち主なのだ。

野良犬ペケが方々の家に勝手に入り込んでは靴を盗んで帰って来るので、健一と伊能田は、
「この靴に見覚えありませんか?
泥棒犬が謝ります」
と書いた看板を掲げ、たくさんの片方だけの靴をぶら下げて街を練り歩く。
たまたま通りがかった老紳士が、
「あっ、こりゃ私の靴だ」と名乗り出るのが可笑しい。

ブラッドフォードから依頼された件で、注文品が期日に間に合わないと三光商事に一報が入る。
電話では埒があかないと、篤子と梶は、製造元の会社のある神戸に向かう。

もちろん新幹線はまだないので、在来線での移動。
神戸も、まだ戦災から充分復興できておらず、そこここに廃墟や瓦礫の山が広がっている。

会社事務所から工場へと何箇所かたらい回しされ、ようやく社長と直談判できたが、どう口説いても気のない返事ばかり。
どうやら、この商談を最初に持ちかけられていた富士商事が横やりを入れているらしい。
梶と篤子は、伊能田の仕業かと不審をつのらせる。

それよりも篤子がショックを受けたのは、廃墟のなかにバラックのように建てられた神戸の工場で、貧しげな女性たちが忙しなく飾り物を作る手作業にいそしんでいる光景であった。
良家育ちの彼女には、思いもよらぬ生活ぶりだったのだ。

伊能田は、篤子に自分が疑われていることを知るが、言い訳しようとはしなかった。

飾り物の件は急に進展し、無事、積み荷をアメリカ行きの船に載せることができた。

神戸の社長が三光商事を訪ね、横やりを入れたのは伊能田ではなく別の社員であること、梶らの訪問のあと伊能田から電話があって富士商事は手を引くと告げられたと明かす。

篤子が家に帰ると、健一の姿が見えないと大騒ぎ。
伯母に、野良犬を捨てられて、家を出たらしい。

伊能田も大変だとばかり、健一の捜索に、篤子と手分けして東奔西走。

浅草も、まだ戦災の色が濃い。
仲見世周辺も廃墟が多いし、浅草寺境内も瓦礫だらけだ。

伊能田と寺の境内でひと休みしようとすると、汚い身なりのシケモク拾いが近寄って来た。
篤子は思わず身体をよじって、それを避けた。

伊能田が捜索願いを出していた警察から一報。
健一らしい少年が、国分寺(実際は小平市)のサレジオ学園で保護されているとのこと。

篤子と伊能田は、武蔵野の雑木林を抜けて学園へ。
ミッションスクールの校内に入ると、室内も関係者の姿も、目に入るあらゆるものが清潔な空間である。
ここでは、戦災などによる孤児たちをあずかっているらしい。

シスター(香川京子)に案内され、
「まだ本人と決まったわけではないので、遠目でご確認くださいね」
と念を押される。

再び外に出て、雑木林を歩く二人。

誤解も解け、失踪した健一の捜索のため献身的に尽力する姿に、篤子の心は伊能田に傾いていた。
伊能田のプロポーズを受けることに‥‥

「お姉ちゃん! イノさん!」

声がする木の上を見ると、ペケを抱いた健一。

雑木林のなか、子どもたちに囲まれた二人が遠景となって、エンド。

【総評】
戦争直後の日本では、まだ珍しかったはずの、丸の内国際派OLを主人公としたガールミーツボーイものに見えて、復興期の格差社会にも焦点をあてた社会派ドラマでもある。

ロケ地も、東京(丸の内、六本木、浅草etc.)、箱根、名古屋、神戸と手広く実施し、まだまだ瓦礫だらけだった生々しい実相を伝えてくれる。
篤子の寄宿する家が近くにあるのか、六本木バス停が映るが、周囲にビルはなく、まだ荒野が広がったままのようだ。

ラストで、篤子が伊能田の求婚を受ける際、
「神戸に行って思い知りましたが、まだまだ私の知らない世界があるんですね。
私も、何か社会の力になりたいと思います」
と述べる。
このときの篤子は、浅草のシケモク拾いを避けた自分を恥じていたのだ。
そして、結婚しても社会人として働くことを未来の夫に明言してもいることにもなる。

また、
冒頭の、英語で会話する高峰秀子から風貌も仕草もバタくさい岡田英次までの三光商事のシーンは、ルック的にもアメリカンな空気を感じさせ、おそらくハリウッド映画を模倣した撮影だったのだろう。

伊能田の茶室に、桂離宮の写真があったことを梶(岡田英次)に告げると、梶は、
「あんな日本の古くさいものを有り難がっているようじゃ、ダメですよ。あんなのは、南洋の土人のあばら屋と変わりないじゃないですか」
と、今ならレイシズム込みのポリコレ的にアウトな発言を平然とする。

神戸の出張先で、梶は篤子に求婚されるが、結局袖にされ、伊能田に軍配が上がる。

本作では、資本主義における拝金主義的な騙し討ちや背信が批判されているだけではない。
伊能田というキャラクターを通じて、年齢を超えたフレンドシップ、会社でのハンディを負った社員へのケア、西洋文化であるクラシック音楽も日本文化の粋たる茶道も楽しむ教養ある生活、などを良きものとして称揚し、戦後社会における日本文化への軽視に警鐘を鳴らしているのだ。

一筋縄では行かない伊能田二平太という役を、池部良は見事な人物として体現し、上記のメッセージに説得力を与えている。
クレジットの一枚看板は高峰秀子だが、本作最大の殊勲賞は、池部だ。

ジャンル的には、会社舞台のラブコメ、ホームコメディを基調として、実は、社会派ドラマでもある。

こんな厚みのある良作を、特段の大作としてではなく、日常的な娯楽として提供できていた邦画全盛期のプログラムピクチャーの質の高さには瞠目を禁じ得ない。

《参考》
朝の波紋 MOVIE WAIKER PRESS
moviewalker.jp/mv23209/

生誕百年記念 女優 高峰秀子
会場:シネ・ヌーヴォ 2024.2.3〜3.1
www.cinenouveau.com/sakuhin/takaminehideko2024/takaminehideko2024.html
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